ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

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サニーデイ ・サービス『the CITY』の入口に立ち尽くすわたしの話

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サニーデイ・サービスの中で一番好きなアルバムは?と尋ねられたなら、間違いなく『Popcorn Ballads』と即答する私。

 


コンセプトから楽曲のクオリティ、アートワークやリリース形態に至るまで、とにかくぶっちぎりだった。

この作品が生まれた瞬間に生きていることが幸運だったと言いたくなるほどの歴史的傑作だったと思っている。

 


そんなポップコーン原理主義者の私から見た最新作『the CITY』を一言で表わすならば、「『Popcorn Ballads』の世界観をさらに掘り下げ、血肉化させた作品」ということになると思う。

 

しかしその話をする前に、古くからのファンとして触れておかなければならないのは、彼らは22年前にも、同じタイトル(と言ってもいいはず)のアルバムをリリースしている、という点。

そう、それは言わずと知れたサニーデイ・サービスを代表する、「その街」を描いた名盤『東京』のことであります。

 
あの美しきモラトリアムの結晶のような作品と、その20年後に生み落とされた『the CITY』という異形の音楽のギャップ。

タイトルトラックの『東京』『恋に落ちたら』で始まる柔らかな世界が、「Fuck you」の連呼で始まる『ラブソング2』、狂気と諦観に満ちた『ジーン・セバーグ』『Tokyo Sick』で幕を開ける果てしない深淵へ変貌した理由は何なのか。

 


その問いについて考えることが、この『the CITY』という作品に接する上ではとても重要なプロセスのような気がしている。

もちろんその答えは人によって異なるだろうけど、少なくとも私は、『the CITY』を2018年の現実に深くコミットした社会性を帯びた作品と捉えることに一つの解があると思っている。かつてのニューソウルの名盤たちのように。

  

それと同時に、『東京』という自らの偉大な遺産をある意味で放り出してでも、「今、この場所」にふさわしい音楽を鳴らすための冒険に挑まんとする、アーティストとしての巨大な勇気にも思いを馳せないわけにはいかない。

その試みはもはや業と呼ぶべき無謀なものだったのかもしれないけれども、少なくとも私にとっては見事な成功を収めたと言い切ることができる。

なぜなら、2018年に生きる俺の耳と心が欲しているのは圧倒的に『the CITY』だから。

 

 

さて、1996年から2017年まで時計の針を一気に回し、名盤『POPCORN BALLADS 』から見た『the CITY』について感じたことを書いてみたい。

 


まず、この二作に共通するもの。

それはフォーク、ロックンロールからヒップホップ、ノイズまで、多様なジャンルの楽曲が並んでいるにも関わらず、それらが一つの作品としてパッケージされることの必然を感じさせることだろう。

 
例えば『the CITY』で言えば、『甲州街道の十二月』で美しいメロディの虹をかけた直後に、性急なブレイクビーツの上でMC松島が若者の刹那をまくし立てる『23時59分』への鮮やかな転換。

あるいは中原昌也のリミックスによる『すべての若き動物たち』で得体の知れない不穏さがクライマックスを迎えた後に訪れる、『完全な夜の作り方』の暖炉のような安らぎ。

 
こうした目まぐるしく、大胆な展開の中にも、どこか共通した緊張感、あるいは対比によるコントラストの強調があり、映画のような大きなストーリーが紡がれていく。

これはきっと、このサブスクリプション・プレイリスト時代において、「アルバムというフォーマットの芸術的意味」と「60分以上にわたってリスナーの耳を奪いつつけるエンターテイメント性」ということを追求したからからこその到達点なんだろう、と素人ながら推察し、勝手にシビれてます。

 

 

 

一方、『Popcorn』に無くて『the CITY』にあるもの。

それを端的に言うならば、「よりリアルで、よりパーソナルな狂気と喜び」ではないか。

 
ボーダーレスかつタイムレス、まるで超大作のSF小説のような手ごたえだった『POPCORN BALLADS』に対し、『the CITY』の世界は、聴き手である私たちの近くに確かに実在している。 


その具体的な理由を示すのは難しいのだけれども、例えば『甲州街道…』『Tokyo Sick』といった地理的な設定であったり、主人公の極私的なつぶやきのような『イン・ザ・サン・アゲイン』や『雨はやんだ』の歌詞、あるいは『Popcorn…』に比べると全体的に湿度の高いメロディやリズム。

そうしたものの総体が、人々の営みや息づかいを感じさせるのだと思います。

 

このように、アルバム全体を通した大きなストーリーを感じさせつつ、各曲の描写の解像度を上げることで、『the CITY』という街の外形だけではなく、そこに張り巡らされた細い路地や、その奥にある小さな窓一つひとつの中で繰り広げられるドラマが頭の中で再生されていくような感覚に包まれるのです。

 


そして本作の特徴として挙げられるのが、世代やキャリアやジャンルもバラバラなゲストミュージシャンが多数起用されている点ですが、これも都市のはらむ多様性や偶然性を反映した表れのように思う。


中でも、『My Lost City』『Obscure Ride』といった、都市に交錯する光と闇を描いた名作をリリースし続けているceroの高城晶平がフィーチャーされていることは必然のように思えるし、健康上の理由により叶わなかったECD(彼もまた東京のリアルを体現した人物である)とのコラボレーションが実現していたら…と悔やまずにはいられない。

(アナログ盤のジャケットにシティポップの裏番長・関美彦氏がコメントを寄せているのもとても象徴的だと思う) 

 

そしてこの多数のゲスト参加という点はもちろん、バンドやメロディ、リズムという枠にとらわれない奔放なサウンドプロダクションからは、都市というものが拡張、変化するのと同様に、一貫して街の光景を捉えてきたサニーデイ・サービスというバンドもまた変化していく、変化しなければならない。そんな丸山晴茂不在の中で至った、新しい決意と地平を感じるのです。

 

 

さて、例によって長々と『the CITY』について書いてしまった。通常、これだけの字数を費やすと、なんとなく自分なりの結論のようなものに到達した気になるのだけれど、この作品についてはそういう手ごたえがまったくない。言葉を並べれば並べるほど、なにもわかっちゃいないな…という思いが募る一方なのである。

 

そんな私が今の時点で言える確かなことは、これから先、フィジカルを手にする、ライブを観る、誰かと会話をする。その度に新たになにかを発見する。

そうやってずっと向き合っていく作品になるだろう、ということだけなのです。