ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

小田島等の歩き方 「1987/2017」

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小田島等の個展@LIVERARY OFFICEに行ってきた。

 

今さら説明するまでもないことだけれど、小田島等と言えばサニーデイ・サービスのアートワークを長年にわたり一手に引き受ける盟友的存在であり、最近ではシャムキャッツのジャケットやレーベルロゴのデザインも手がけている。

 

しかし、サニーデイの音源を包む、大胆にしてリリカルな作風を想像して彼の作品に臨むとたぶん困惑することになる。

 

正直に言うと、私も初めて彼の作品を見た時には途方にくれてしまった。 

そして今でも、小田島等の作品に向き合うことは、ある種の格闘のようなものだと思っている。

 

自分の想像力の範疇外にあるものを、ジャンプして掴み取り、咀嚼する。
頭と心が汗びっしょりになったような気持ちになるのだ。


まず彼の作品は、多くのアート/デザイン作品が持つ、キレイとかオシャレとか明るいとか暗いといった、安易なファーストインプレッションをキッパリと拒否する。

 

そこにあるのは、子供が本能のままに貼りつけて落書きしたように(も)見えるコラージュだ。

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最初に向かい合った時点では、なにこれ、ヤバい、わかんない、と冷や汗が出てくるかもしれない。

 

しかし心配する必要はない。

これは、小田島等の作品が内包する圧倒的な情報量が、視覚から取り込んだ信号を感情としてフィードバックする脳内処理を、一時的にパンクさせているだけなのだ。

 

よってここで生じる混乱は極めて自然な生理現象であり、ある意味であなたが健康である証拠とも言える。


とは言え我々は、健康診断を受けにギャラリーまで足を運んでいるわけではない。

 

当たり前ような顔をして目の前に広がる、物理的、化学的、歴史的、道徳的、あらゆる種類の圧倒的な秩序の中に、小田島等が生じさせた綻びや歪みを感じるためにここにいるのだ。

 

さあ深呼吸して、改めて作品に対峙してみよう。

 

ここで私が心がけているのは、これが紙の作品であるという概念を捨てる、自分の身近なものに置き換えてみる、ということだ。

おのずと私の場合は音楽に変換するということになるわけだが、するとあら不思議。

さっきまで謎だらけだった作品が、それぞれのリズムでこちらの感覚に染み込んでくるじゃありませんか。

 

あるものはアシッドハウス、あるものはヒップホップ、あるものはドラムンベースやサイケGS…。

この音楽(あるいはそれ以外の何か)が持つ本質的なエネルギーを、直接脳にブワーっと送り込んでくる感じ。これが小田島等の作品の最大の魅力だろう(※シラフです)。


さて、心の周波数はステイチューンで、もう少し目を凝らしていこう。

 

一枚一枚の作品に貼り付けられた素材と、その組み合わせに込められた暗号を読み解いていくのだ。

読み解くなんて書くと、いかにもややこしい感じがするけれどドンウォーリー。

 

先ほどからあなたの頭で流れているTB-303のベースラインや909のキック、あるいはファズギターやスクラッチノイズに合わせていくつかのキーワードを作品に浮かべていけばいい。

 

 

例えば、

オシャレ/ダサい
セックス/プラトニック
人工/自然
作為/不作為
ローカル/グローバル
大人/子供
生/死
昨日/今日/明日


こうして右から左、上から下に視点をズラしていくことで訪れる、作品と自分のピントがピタッと合う瞬間。
この立体的な快感は、他のアーティストでは味わえない感覚ではないだろうか(※もう一度言うけどシラフです)。


さてどうだろう。
ここまでで小田島等の世界を一端は堪能することができたのではないか(もう少し深く論理的に探求したい方には誠光社から出ている堀部篤史との対談集「コテージのビッグウェンズデー」をおおすすめ)。


そして内的冒険を終えたあなたの中には、これまで感じたことのない充実感や、エナジーが満ちていることに気づいていることだろう
(ちなみに私は今回の個展を見た後、二日ほど眠れなくなってしまった)。

 

そして話を冒頭に戻すと、作品ごとにその姿をダイナミックに変容させているサニーデイ・サービスが、あるいは自らのインディーレーベルを立ち上げようと奮闘するシャムキャッツが、その世界観をレペゼンするパートナーにこの小田島等を選ぶには、やはり揺るぎない必然がある。と思うのです。