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ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

小沢健二「流動体について」について

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小沢健二のファーストアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」は間違いなく俺の人生で最も再生回数が多い作品。

15歳の時にリリースされたこの作品に、俺の思春期は救われた、と断言してもいい。

 

だから、なのか、しかし、なのか。

「LIFE」以降のオザケンは、俺の心に二度とは消えないほどの深い傷はつけなかった(もちろん、その時はその時で楽しかったけれども)。

 そして、ゼロ年代以降の中田英寿的旅人感や、降って湧いたアンチ資本主義には、へぇ左様でございますかって感じで、額に汗して働く労働者には縁遠いものとして傍観するだけ。
たまに、あの「犬キャラ」も天才的な虚言だったのかな…と思い出したりすることもあったけど。


でこの度、オザワイズカミンバック。
わがまま王子のご帰還。
朝日新聞の全面広告と共に。

このビッグウェーブに乗るべきか否か、迷った上でレコード屋さんへ(なんとなく通販で買う作品ではない気がしたのだ)。

 

スルーしなかった理由はただ一つ。

果たして彼が今の時代に意味ある作品をつくることができるのか。

サニーデイ・サービスの「Dance to you」のように、ノスタルジーを抜きにして、ceroやスカートやネバヤンと同じ地平で「2017年に聴くべきポップソング」を鳴らすことができるのか。

それを確かめずして、なにがドリーミーおじさんだ、という謎の責任感が勝ったのだ。

 

で、聴いてみた。

一言で言うと、ダサい音である。
洗練度はゼロ。
鳴り続けるストリングスはもっと抑えられるべきだし、三三七拍子みたいなハンドクラップも子供っぽい。前作が「毎日の環境学」で、前々作が「eclectic」だった人とは思えない。


しかし、この秒あたりのハンパない情報量の多さ、有無を言わさず爆発する僕のアムールあるいはグルーヴの前では、そんなことは些末な話。
ポップミュージックのマナーでは解くことのできない力を感じるのです。
今の小沢健二にとっての音楽は、音楽好きのための音楽ではない、もっと大きなもののための表現なのだ、たぶん。

 

それが何であるのか。
小沢が声を裏返しながら歌う「もしも間違いに気がつくことはなかったなら 」というフレーズにそのヒントがあるような気がした。

最初に聴いた時は、過去の恋愛、あるいはなんらかの個人的な人生の選択に対するもの、と思っていた。
しかし、それにしては、この「間違い」という言葉は、強すぎやしないだろうか。

そこまできっぱりと過去を否定しつつ「君の部屋の下」を通り、「詩的に感情が揺さぶられる」ものだろうか。違う女性との子供を想像するものだろうか。

 

 

おそらく、ここで言う「間違い」とは、個人的なものではなく、もっと大きな、社会全体とか民主主義とか、そういうものを指している気がする(それが流動体?)。

そして幸いにも主人公が暮らす世界ではその間違いを回避することができた(ということは、2017年以降の世界が舞台なのだろう)。
かつての彼女は平穏に暮らし、彼は子供とカルピスを飲んでいる。

 

でも、間違いに気づくのは一人では意味がない。
流動体を正しい方向に導くには、一人では足りないからだ。みんなを振り向かせ、注目させ、鼓舞しなければならない。

だからこその三三七拍子(的ハンドクラップ)であり、朝日新聞であり、Mステだった。少しでもこのメッセージを、多くの人に伝える必要があった。

 

俺の思春期を救った王子様は、今度は世界を救おうとしている、のかもしれない。

(それはそれで危険な発想かもしれないが)

 

 

でもその前に、王子様へお願いしたいことがあるのです。

「Buddy」と「Back to back」、とっとと再発してくださいませんでしょうか?