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ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

ストリートデモクラシー2015とECD"Three wise monkeys" 後編

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ECDの最新作に思いっきり吹っ飛ばされてしまった話の続き。

 
 
あらかじめ言っておくと、この作品の中に、反レイシズムファシズムといった、社会運動家としてのECDの主張は(少なくとも明確な形では)ほとんど感じられない。
 
 
そういう「正しさ」を真っ正面から掲げる作品だったならば、ワタシの気持ちはここまで動かなかったと思う、たぶん。 
 
 
それは音楽でもできるけど、音楽じゃなくてもできることだから。
 
 
 
 
この作品のすごさは、彼がこの国の裂け目とも言うべき現場で何年にもわたって目にしてきた、くだらなさ、醜さ、美しさ、といった要素を、音楽という抽象的な表現に昇華させていることにある、と思ってる。
 
 
例えば、3曲目"Lucky man"を、彼のことを多少でも知っている人が聴けば、そのモチーフになっているのが、今話題の学生グループであることは明白。
 
 
でもそこを出発点に、世界への扉をパカーンと蹴とばしながら進んでいくようなトラックとリリックは、まるでハリウッド映画を見ているかのような痛快さと高揚感があるし、盛大に話題が脱線し続ける様は、居酒屋のカウンターでいい感じに酔っ払ってるオッサンと同じような、なんとも言えない可愛げと解放感がある。
 
 
 
そしてこのポジティブな感覚は、SEALDsとか国会前のことなんて何も知らない人、あるいはECDが対峙してきたファシストレイシストであっても、この曲を聴いた誰もが感じうるもの、なんじゃないかと。
 
 
 
つまり、とっかかりが極めて政治的な事象だったとしても、その政治的思想や立場を超えて、音楽を愛する誰もが、いい曲だよね、ヤバいトラックだよねと言える、強い普遍性を獲得していると思ったのです。
(ついでに言うと、「政治と音楽は切り分けるべき論」に対する見事なカウンターにもなっている)
 

 
しかも彼の音楽は、耳ざわりの良いメロディーを持つ歌謡曲や、解釈の自由度が高いインストなどではなくて、
 
「2015年じゃなかったらよかった今 こんな時代が大嫌いだ」
 
というフレーズで始まり、
 
「大怪我大惨事 いい気なもんだったって思うくらい 今じゃ一寸先闇」
 
なんて曲で終わるような、
 
2015年のリアルな怒り、緊張、軋轢をぶちまけた、大変にクレージーなヒップホップアルバムなんですからね。
 
 
そう、ワタシが知る限り、1MC+1DJのヒップホップほどダイレクトに、「人間そのもの」が伝わる「レペゼン俺」な表現方法も他にないわけですよ。
 
 
その中で、音楽家ECDが活動家ECDの主張も踏まえつつも、表層的な立場や主張を超えて、それぞれの感性に直接触れるような作品を作り出したという離れ業感。
 
 
やっぱり、路上に出た人だけが手に入れられる何かがあるってことなのかな、と思うわけです。
 
もちろん、ECDが希有な表現者である、ということが大前提のハナシですが。
 
 
 
二回に分けたにも関わらず、今回も長くなってしまいましたが、とりあえず最後に言っておきたいことがふたつ。
 
 
まずは、この最新型でピカピカのマスターピースは、去りゆく2015年あるいは来るべき2016年に絶望しているオレやあなたのケツを蹴り上げて、もう一度それぞれの路上に戻してくれるくらいの力がありますよ、ということ。
 
 
そしてもう一つは、ライブ観たいわー、うちの近所にも来てくれないかなー、ということ。
 
散々ヘリクツこねておいてアレなんですが、 やっぱり音楽ですから。
そう思えることが一番なんじゃないかと。