ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

佐久間裕美子+若林恵「こんにちは未来」を読んだ感想と仕事の愚痴

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帰省もできないこの冬休みには絶対に本を読もうと決めて、かなり前にON READINGで手に入れてあった佐久間裕美子・若林恵「こんにちは未来」の3冊セットを一気に読み、とても刺激を受けた。


お二人の会話をまとめたこの本には、何か明確な結論が書いてあるわけではないのだけれども、「結論≒情報」はネットで簡単に手に入ってしまう時代である。私が生活者として、あるいはビジネスマンのはしくれとしてこの本を読んで有意義に思えたのは、未来志向の(ただし、現代でちゃんと地に足をつけた)人たちのモヤモヤした空気というか、まだ答えの出ていない問題に対する態度に触れることができたこと、という点にある。まだ答えが出ていない問いや課題にこそ、新しい可能性あるいは脅威が潜んでいるわけだから…。


今の私の仕事(刑事ではない方)をざっくり言うと、会社の従来領域とは違うところで何か新しいビジネスを起こしなさい、といういかにも閑職感あふれるものなのだけれども、もうこれが本当に難しくて泣けてくる。100万個くらいあるうまくいかない理由を総じて言うと、「この世に新しいビジネスという名のビジネスは存在しないから」ということなるのだろう。弊社にとっての新領域は誰かにとっての従来領域であり、長年その領域に根を張り、しのぎを削ってきた先達がいる。そこに後からノコノコやって来た俺たちが中途半端なアイデアと資本を投下したところで、それに見合った利益をあげることなど到底不可能。つーかいいカモでしかない。じゃあ誰もいないところで釣り糸垂らせばいいじゃーん、という話なんだけど、そこにはまったく魚がいないんですよねー。

ともかく、ちょっと目新しいくらいの「テック」とやらでゲームチェンジは起きないのですよ社長。はい分かってます。ただの言い訳ですね。


なので本当に新しい領域で新しい商売をやりたいのであれば、この本で語られているような、まだ固定化されていない社会の空気感、潮流、倫理、大義…そういったものをメンバーが共有するところから始めないといけないように思うのだけど、果たして会社という「定款によってビジネス領域が定められた組織」において、それが可能なことなのか未だによくわからない。この本渡したらみんな読むかな?読まないだろうな…。


そんな感じで今年も悩みは尽きないけど、今年こそ未来をこんにちはさせないといよいよ給料をもらえなくなる気がする。これからはちゃんとPodcastも聞いてアップデートしようと思います(フォローしました)。

 

スカート「アナザー・ストーリー」を聴いて思ったこと

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スカート「アナザー・ストーリー」のフラゲに失敗した私が自分を慰めるために思いついたアイデアは「アナザー・ストーリーと同じ曲順でオリジナルバージョンを並べたプレイリストをつくる」という作業だった。

いつもならSpotifyでチョチョイとつくるところなのだが、今回の収録されたカチュカサウンズ時代の楽曲はSpotifyには上がっていないのである。なので、ハードディスクのライブラリから一曲ずつタイトルを入れて検索していったわけだが、「おばけのピアノ」と入れると6バージョンも見つかった。そして「すみか」「月光密造の夜」も5つずつ、「返信」は4つの異なるテイクが発見された。

活動歴10年。決して短くはないが、ベテランという域でもないミュージシャンにしては、異常な数のようにも思われるテイク数。何度も何度も録り直す楽曲への偏愛と、それに応える楽曲の耐久性。そしてやや恩着せがましく付け加えるなら、そうしたセルフカバー作品についつい手を伸ばしてしまうリスナーとの信頼関係。そこにスカートの特殊性が凝縮されてるように感じた。

 

さて、自作のプレイリストを経た後、満を持して聴いた「アナザー・ストーリー」。奇をてらわず、原曲のそれをほぼ活かした、ストレートなアレンジは、私がスカートを知ってからの5年間で観続けてきたライブでの演奏そのままの躍動感。ついイントロや間奏で「キーボード佐藤優介!」「ドラム、シマダボーイ!」などと合いの手を入れたくなってしまうほどの生々しさがある。スカート最大の魅力の一つである「肉体性」が全面に押し出された、血湧き肉躍るサウンドなのである。

 

それにしてもここまで原曲に忠実なアレンジというのは、「NICE POP RADIO」で開陳される音楽リスナーとしての博覧強記ぶりを考えるとやや意外という気もする。しかし活動開始から10年という歳月をかけてたどり着いた最高のメンバーによる最高の演奏を、そっくりそのまま録音することこそが、自らの楽曲と歩みに対する最大の肯定なのだろう。そしてそれは同時に、未だカチュカサウンズ時代の楽曲に触れていないリスナーの完璧すぎる自己紹介でもある。

このアルバムでスカートの過去作の素晴らしさを初めて知ったリスナーは、スカートを初めて知った5年前の私のように、ストリーミングサービスでは聴けない音源を求める旅に出て行くことになる。その道程においては、例えばココナッツディスクのような素晴らしいレコードショップだったり、ミツメやトリプルファイヤー、TJNYといった盟友の音源にぶち当たることもきっとあるはず。つまりこのアルバムからリスナーそれぞれの、無数の物語が広がっていくと言えるのではなかろうか。そう思うと「アナザー・ストーリー」というタイトルに潜む深みをしみじみと感じてしまう。そして、この5年間、スカートが私に見せてくれた景色の豊かさを思い返し、ますますしみじみとした感謝の念がたえないのである。

 

 

 

2020年12月22日 サニーデイ・サービス ライブ@今池ボトムライン

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今この文章が世に出ているということは、この日のライブで私はコロナに感染することは(おそらく)なかった、ということである。それが分かるまではどうしても「サニーデイのライブいってきました!」と大きな声では言えない後ろめたさがあった。そんな後ろめたさに意味はないのかもしれないけど、医療体制がひっ迫する中で、自分のわがままを優先させてもらったと思っているし、様々な理由で行きたくても行けなかった方には申し訳ない…という気持ちを今も抱いています(私の妻も行けませんでした)。


なお会場では念入りな予防策が取られており、消毒、換気、ソーシャルディスタンスはもちろんのこと、アルコールの販売すら行わず、開演前のSEも無かった(大声で話さないようにするための配慮だろう)。ほぼ毎日電車通勤している私の日常生活においてこの会場は、特段感染リスクの高い場所ではないように感じたことは付記しておきたい。

 

さて。


とりあえずライブが終わった直後の私がもっとも叫びたい言葉はたった三つ。


大工原幹雄!

大工原幹雄!!

大工原幹雄!!!


以上です。


それくらい新しいリズムがバンドに新鮮な風を呼び込んでいることを感じるライブだった、ということであります。

 

奇跡の大傑作『いいね!』のリリースツアーという位置づけのライブだったが、「久々にみんなに会えて嬉しいね、という気持ちで選曲したくなった」という理由で、まさにオールタイムベストのプレイリストとなっていた。なんせ「月光荘」「東京」から始まったかと思えば、「パレード」「万華鏡」といっためったに聴けないナンバーまで演奏されたのである。

世界でも最上位の「いいね!」リスナーの私(Spotify社調べ)ですが、この10ヶ月もの間、エレキギターの轟音とベースとバスドラの低音を待ち望んでいた状況からして、そしてそもそもサニーデイの楽曲をあまねく愛する者として、今日はもうどんな曲を演奏してくれても、ただただ「うれしい!たのしい!せつない!」というドリカム状態。何を演奏するかということよりも、新たなバンドとなった彼らがどう演奏するか、ということの方が重要だったのかもしれない(とは言え、アンコールで披露された「Christmas of Love」はやはり特別だった)。

この日の彼らの演奏は良くも悪くもラフ。しかし音楽をリアルな空間で共有することの喜びに溢れていた。曲順を間違えたり、歌詞が飛んだり、たまにリズムがおぼつかない瞬間があったりしたけど、そんなことまったく気にならない。むしろこういう瞬間こそライブの醍醐味じゃん?ということを思い出させてくれるようなフレッシュさ。曽我部さんも何度も何度も、感無量の面持ちで「ありがとう」と繰り返していたし、最後には「もう帰りたくない」とまで言ってくれた。これほどフランクに心の通い合うサニーデイのライブを観るのは初めてかもしれない。

しかしそんなアットホームな雰囲気な中で聴く長年親しんできた楽曲たちも、大工原幹雄がドラムを叩くと、それまで潜んでいたグルーヴがムクっと屹立するような感じがあった。「サマーソルジャー」「NOW」ってこんなに踊れる曲だったっけ?というくらいの抑揚があったし、特に激しく手数の多い近年の曲、「春の嵐」「コンビニのコーヒー」「心に雲を持つ少年」や「セツナ」の殴り合いが始まるんじゃないかっていうアタックの強さ、テンションの高さは俺の脳みそメーターを軽く振り切っていた。

そして何より重要なのは、この3人のこれから先の深化を絶対に見てみたいと思わせる新鮮な青さに満ちていたことだ。活動歴25年以上のバンドが獲得したものとして、これはあまりにも貴重なものではないだろうか。

 

今年はコロナもあったし、自分の仕事も情けないくらいに上手くいかなくて、とにかく鬱々とした年末なんだけど、せめて俺の人生にはサニーデイ・サービスあって良かったと、「若者たち」を聴きながら心の底から思えた。人生なんて上手くいくはずのないものだって、最初から知っていたはずじゃないか。

 

サニーデイ・サービス 『もっといいね!』

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あれ以上も以下もない、何人たりとも立ち入ることのできないピュアネスだけで作り上げられたロックアルバム「いいね!」。それがまさかリミックスアルバムとして解体・再構築されることになるとは思わなかった。


参加したリミキサーはまさに多種多様。岸田繁tofubeatsのようなビッグネームから、CRZKNY、Momといった気鋭まで13組。一見脈絡のなさそうな人選にも見えるけど、そこに貫かれたある種の統一性はアルバムを聴き進めるうちに見えてくる気がした。どのアーティストも、キャリアを問わず、『いいね!』という名作と真正面から全力でぶつかり、色とりどりの生命力を放つ新たな作品を好き勝手に作り上げている。つまり、人選の基準は「横綱サニーデイが相手でも、自分の相撲を思いっきり取れるアーティスト」ということなのだろう。サニーデイ・サービス曽我部恵一はライブにおいても無名の若手からベテランまで幅広く共演を重ね、そこから受けた刺激をバンドの新たな原動力にしているところがあると思うのだが、この音源においてもまた、才能に満ちたアーティストとのガチンコのタイマンを楽しんでいるかのようである。


と、ここで話を卑近なところに脱線させますが、私は今年、数々の偶然に持ち前の向こう見ずな図々しさを掛け合わせ、『いいね!』のリリース時に曽我部さんにインタビューをさせてもらいました。

turntokyo.com

憧れのスターとの会話に備え、もちろん入念に準備をし、たくましい妄想に基づく質問もたくさん考えていたのだけれど、それでもインタビュー中はずっと曽我部恵一という巨大な森の中で迷子になっているような気持ちだった。いやもちろん曽我部さんが意地悪だったとか難しい人だったとかではない。「八月」開店準備真っ只中の忙しい時期にも関わらず、長時間のインタビューに応えてくれた曽我部さんは、皆さんご存知の、あの優しくてジェントルな曽我部恵一そのものだった。私が拙い質問を投げかけるたびに、真摯に自分の言葉を探し出して答えてくれる懐の深さに、ただ勝手に圧倒されてしまったというだけのことなのです。骨を拾ってくれた岡村詩野さんのおかげで読み応えのあるインタビューになったと思うけど、私の見当違いの質問リストの半分くらいは手付かずのまま終わったし、その後しばらくは自分の不甲斐なさに打ちひしがれていた。


脱線が長くなりましたが、つまり、曽我部恵一サニーデイ・サービスの音楽と対峙するということは、ミュージシャンにとってもそれなりの覚悟を迫るイベントではないか、ということが言いたかったのです。私を引き合いに出しても大した説得力もないことは分かっていますが。


ガバ、デスメタルからヒップホップ、フォークまで、レコード店の棚を端から端まで網羅したような幅広い音楽が収められたこのアルバムの中からベストトラックを選ぶことは難しい。しかしあえて私にとっての『いいね!』というアルバムに対する印象に基づくハイライトを挙げるならば、The Smithsへのオマージュとネオアコというアルバム全体のテーマを軽やかに射抜いたHi, how are you?と、批評性を蹴り倒し初期衝動だけを暴走させたどついたるねんによる「春の嵐」。そして「あまりにも自分自身のパーソナルな感情が入りすぎている」という理由でアルバムには収録されなかった「雨が降りそう」の深い悲しみを流麗なピアノと電子音の海に沈めるような岸田繁のリミックスになるだろうか。

特にラストに収録された岸田版「雨がふりそう」は、もうここにはいない大切な人の面影を描いた曽我部瑚夏による「日傘をさして」と並んで収録されたことで、あの最高に弾けた『いいね!』の裏側にあった(と私が妄想した)、サニーデイ・サービスというバンドが背負ってしまった「パーソナルで宿命的な悲しみからの再生」というテーマの存在を浮き彫りにしているようにも感じてしまった。そしてそれこそが、曽我部恵一という森の中で迷子になった私が、彼に聞くことができなかった質問リストそのものなのです。

 

 

 

 

 

 

 

リ・ファンデ『HIRAMEKI』にまつわる私的な記録

リ・ファンデ『HIRAMEKI』がリリースされた。最大限冷静かつ客観的に見たとしても、同じ日に出た田中ヤコブと並んで、ポップミュージックの一つの基準になるような名盤、と言っていい作品だと思う。

open.spotify.com

ちょうど一年ほど前、リ君に連絡をもらった私は、出張の帰りに品川駅の近くの居酒屋で久々に彼と再会した。そしてその場で「これからソロで本格的に活動していくので、スタッフみたいな感じで協力してほしい」と言われたのだった。

彼のファンとしてはもちろんそんな風に言ってもらえたことは嬉しいけれど、こちらもいい年した社会人である。素人のおっさんが力になれることなど、1ミリもないことくらいは分かる。当然の反応として、いやいやいやいや他の人に頼みなさいよ、と言ってみた。しかし彼は今の自分にそういう存在はいないし、それでも自分は誰かと相談しながら活動していきたいのだ、と言う。嗚呼なぜ今の音楽業界はこんなにも輝く才能を放っておいてしまうのか…と思わずにはいられなかったが、そこまで言うならできることはなんでもしますよ…ということになった。

しかし今だから言えるけど、内心「もし彼のつくる作品が、自分の好みに合わなかったとしたらどうしよう」という不安があったのも事実。生活のための仕事ならばしれっとやり過ごせばいいけど、これは感情だけが原動力である。かえって迷惑をかけてしまうのではないか…と。

我ながら恥ずかしくなるほどの小心ぶりなのだけど、とにかくこの無人駅のような場所から、『HIRAMEKI』はスタートしていたのである。今となっては本当に信じられないことである。


さて、「スタッフ的な立場」を与えられた私(と摩硝子さん)は、一体なにをしてきたのか。結論から言うと、まあ大したことはしていない。


折に触れて彼が送ってくれるデモ音源を聴かせてもらって好き勝手な感想を言ったり、「次は〇〇さんと対バンしちゃいなよ」とか好き勝手な思いつきを言ったり、彼が直面する音楽業界のリアルに一緒に驚いたり悲しんだり、時折り飛び込んでくるグッドニュースに喜んだりするくらいのことだった(Negiccoのnaoさんから楽曲提供の依頼があった時は盛り上がった)。


なので音楽制作の裏側とか苦労みたいなことはまったく知らないし、なんの助けにもなっていない。しかし彼は、私たちが好き勝手なことを言っている間に、素晴らしいミュージシャンとスタッフを集め、レコーディングをして、ジャケット写真を撮影し、ロゴをつくり、MVを撮影し、流通の手配をしていた。日中の仕事もこなしながら、である。

あの飄々とした佇まいの裏側に秘めた、とんでもない体力と情熱。彼は私よりもだいぶ年下だけど、もう本当に尊敬してしまう。本人にはあまりちゃんと伝えたことないけど。そして音楽の才能だけでは音楽を届けられない時代を生きるアーティストの厳しさも痛感せざるを得ない。


なお、私がした数少ない仕事らしいことと言えば、レコード屋さんに配布する資料の文章を書くこと、そして二つのインタビュー記事を書かせてもらったことだろう。


TURNの岡村詩野さんはこんな野良リーマンの私に定期的に文章を書く場を提供してくださった大恩人だけど、まだソロ名義でのリリースのないファンデ君のロングインタビューを快く掲載してくださり、その後もいろいろと相談に乗って頂いた。

turntokyo.com


そしてCINRAの山元翔一さんは2年前にサニーデイ・サービスの特集記事になぜかどこにもなんにも書いたことのない私に寄稿の機会をくれた極めて奇特な方(最初に依頼メールを見た時は新手の振り込め詐欺に違いないと思った)。いつも心の通った記事を手掛けている。今回も大メディアの編集者ということでかなり緊張してしまったが、私以上に真っ直ぐな音楽愛、ファンデ愛で私の拙いインタビューと原稿を完成まで導いてくださり、とても勉強になった。

www.cinra.net

 

なお、このお二人の名にかけて一応誓っておきたいのは、私がリ・ファンデの「スタッフ的な立場(そういえばPromotional writerという肩書をもらっていました)」だからと言って、それぞれの記事で語った言葉の中には、一切の誇張も嘘もないということである。そんなことは音を聴いてもらえれば分かってもらえると思うのだけれども、私が記事の中でしたことは、彼の歌声にある方向から光を当て、魅力を際立たせていくという照明係のようなものにすぎない。そもそもそこに空虚な美辞麗句が入る余地も、入れる必要もないのである。


とは言え、個人的にもなんとなくこのリリースを目がけて、執筆活動を細々と頑張ろうと思っていたこともあったので、今はちょっと安心したような気が抜けたようなところがある。そんな気持ちを一回整理するためにこの文章を書いてみた。


明日(10/18)はリ君は曽我部さんとツーマンライブ。そう言えば、品川で飲んだ時「いつか曽我部さんと共演したいんですよね。もし実現したらドリーミーさんも嬉しいでしょ?」と言っていたのだった。またあの時の目標が一つ叶ったじゃん。憎きコロナのせいで現場に行けないのが悔やまれるけど、メロウロックの王様に挑むファンデの勇姿、配信でしかと見届けますよ。

 

 

 

スカート 、トリプルファイヤー、ミツメのライブを2日で観た週末の話。

「月光密造の夜」が私の生き方をもんのすごく深いところからひっくり返してしまった…という話はもう何回目だよってくらいにしているので詳しいことは割愛するとして、スカートのデビュー10周年を飾る「真説・月光密造の夜」もあわよくば東京まで遠征してやろうと思っていたわけですが、断念。その経緯は言わずもがななのでこれも割愛。


コロナ禍で苦境にあるミュージシャンというのはたぶんたくさんいる…というか苦しんでないミュージシャンなんて一人もいないとは思うのだけれども、スカート澤部氏は毎週ラジオで近況を話してくれるし、日記も書いているし、自宅から配信していた「在宅・月光密造の夜」で感極まる姿など、かなりリアルタイムで心情を共有されていたように思うので、ようやくたどり着いたこの日のライブを(配信とは言え)目撃できたことは誠に勝手ながら感慨深いものがあった。

「ハル」「ゴウスツ」という初期の名曲から始まったライブだが、当たり前だと思っていた日常が姿を消してしまった今だからこそ、新たな意味を宿してしまった歌詞の一つひとつが心に刺さって仕方がない。澤部渡にしか書けない色濃い悲しみと、かすかに差し込んでくる光。2020年の残酷な日々すら美しさに変えてしまうこの人は、やっぱりポップミュージックに選ばれた人…などと無責任なことを思ってしまう。音声が途切れたり画像がちょっと粗かった気もしたけども、あれはタケイグッドマンオマージュに決まってんだろ。←後に機材の不調によるものとアナウンスあり

 

翌日はもともとミツメの配信ライブを観る予定だったけど、つくばロックフェスに出演しているトリプルファイヤーの配信もあることに気づく。ということはつまり二日に分けて「第7回月光密造の夜」を観るようなものじゃないかと急いでプールから帰ってきてYouTubeにアクセス。昨日スカートのライブに出ていたシマダボーイがサポートに入ってるのも同じイベント感がある。夕食前の慌ただしい時間帯である上に、爆音ノリノリで聴いてるところにお義母さんが猫と遊びに来たりしちゃって、なかなか集中して観ることが難しかった。が、特にまだ音源になっていない楽曲のビートが、呪術的にヤバいプリミティブさをまとっているように思われ、早くちゃんとした形で聴きたいという欲望がわきあがってきた。それにしても、子供が一生懸命宿題をやってる隣で「俺は酒飲んだらおもしろい」などと歌うバンドをヘラヘラと観るのはものすごくいけないことをしているような気持ちになった。


さて、19時からはいよいよ大トリのミツメ「mitsume Autumn Camp」である。

音も映像も、これ録画じゃないの?と勘違いするほどの美しさで、さすがの完璧主義…と唸ってしまう。

私にとってミツメとは、楽曲ごとに設定した枠の中で、一定のレンジや密度、そして湿度と温度を厳密に守りながら、未知の音を構築していくバンドだと思っているのだけど、この日新たなアレンジで披露された「停滞夜」「cider cider」といった過去曲では、そのレギュレーションから逸脱して宇宙空間に飛び出していくような瞬間が何度もあって、関節が外れそうになるくらい興奮した。やっぱりミツメってめちゃめちゃライブバンドですよね!ラストの「煙突」はイントロ前のノイズの部分でもうすでにグッときてしまったよ。それにしてもこんな演奏を、声も上げることも立ち上がって観ることも許さないコロナウィルスのサディスティック性は本当に異常だ。

 

この週末は他にもつくばロックフェスで東郷清丸のライブやSAGOSAIDの無観客ライブも観て、自宅に居ながらにして音楽を満喫したのだけれども、素人の直感としては配信ライブって、コストを収入で賄うレベルに達していないのでは…という気がしている。これまで私が観た中でビジネスとして成り立っていそうなのは、4500円で過去のライブ映像を流した山下達郎くらいなんじゃないかしら。こないだ見た日経のセミナーで、渋谷陽一先生は「エンタメの未来はオンラインライブにしかない」と仰っていたけど、それは私の愛するシーンにも当てはまる予言なのだろうか。

音楽との向き合い方を模索の日々はまだまだ続く。

イノセントとドキュメント。サニーデイ・サービス「いいね!」

 

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2020年3月18日。世界中を覆う黒く分厚い雲に一筋の光を差しこみ、新しい季節を招き入れるようなサニーデイ・サービスの新作が届いた。連日の残業でボロボロになっていた俺は深夜に一聴するなり、この作品が放つ生命力の眩しさについ涙をこぼしそうになってしまった。

 

POPCORN BALLADS』に象徴される最新型のサニーデイ至上主義者であり、ノスタルジーという脳内フィルターに対する警戒感の強い俺としては、こういう表現を安易に使いたくないのだけれども、街の鮮やかな息づかいを感じさせるこの作品こそ、歴史的名盤『東京』以来の”みんなが一番聴きたかったサニーデイ・サービス”であると断言してもいい気がする。いや、新メンバー・大工原幹雄が叩き出すグルーヴがソカバンを彷彿とさせるプリミティブな躍動感にあふれているという点においては、”みんなが一番聴きたかったベストオブ曽我部サウンド”と呼んでもいいかもしれない。

 

それにしても2019年12月末に期間限定公開された丸山晴茂を追悼するドキュメンタリー映画『GOODBYE KISS』や、20年の元旦に配信リリースされた渾身のブルーズ『雨が降りそう』からわずか3ヶ月で、こんなにもフレッシュなアルバムが届けられるとは、まったく想像できなかった。

幸運にも俺は1月4日に行われた江ノ島OPPA-LAでの134名限定ライブを観ることができたのだけれども(予約のために127回も電話した)、その場で披露された新曲たちもやはり不在や死と隣合わせの日々を生き急ぐような切迫感にあふれているように感じたし、年が明けてもドラマーが変わっても、サニーデイ・サービスとそれを追いかけている俺たちが今いる場所は『GOODBYE KISS』と地続きの世界なんだなと(当たり前だけど)痛感させられた。だから勝手に、きっと来たる新作はこの混沌としたヒリヒリするエネルギーに満ちたパンクロックアルバムになるのではないかと想像していたのだ(ちなみにその日配布された歌詞カードを見返してみると、披露された新曲のうち、『いいね!』に収録されているのは『春の嵐』のみ)。新たなメンバーを迎えたサニーデイは、本当に新しいバンドに生まれ変わった、ということかもしれない。

 

でもやっぱり、それこそ『東京』から25年も生きてしまった人間の心を動かすほどの特別な深みをもたらしているものは、イノセントな輝きを放つ高い作品性・フィクション性の裏側に垣間見れる、サニーデイ・サービスというバンドのこれまでの道程と現在地を刻み込んだドキュメントフィルムとしての切実な表情にあるような気がしてならない。

 

例えば、M2『OH! ブルーベリー』におけるロックンロールという怪物にずっと取り憑かれている自分を俯瞰するような視点、あるいは「優勝者のラン」というワーディングからは、バンドとしての来し方を「表彰状でももらいにいこう」と歌った名曲『コバルト』を連想してしまう。そして全曲シングルカットが可能と思われる楽曲がならぶアルバムの中でもひときわ鋭いフックを持つM5『エントロピー・ラブ』の「安定剤も切らしてしまって」とか「愛も憎しみもどっちでもいいけど もうすこし仲良くできなかったか じゃあそろそろ出かけるね ポケットに星があふれて」なんて歌詞を聴くと、そういう歌じゃないってことは頭では分かってるんだけど、どうしてもあの人の顔を思い出さずにはいられない。他にも・・・ってキリがないからもうやめておくけど。でもこの最新作には、随所にこれまでのサニーデイ・サービスが埋め込まれていることは間違いないと思う。


そして最後に『POPCORN BALLADS』至上主義者の妄想として言っておきたいのは、ここ数年のサニーデイ・サービスの作品は、ファシズムディストピアの影が色濃くなっていく10年代終盤の時代性と明確にリンクしていたということである。その視点において、この『いいね!』という作品は、その最高なタイトルも含めて、新たなウィルスによって急激に視界を失いつつあるこの世界に対する、最も切実なカウンターとして送り出されたものではないか、と思ってしまうのである。さすがにその発想は飛躍しすぎかもしれないけど、全ての名作は時代を代弁し、未来を予言する。後年この作品が振り返られる時には、この視点と共に語られるような気がしてならない。