ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

火の玉のゆくえについて 台風クラブ「火の玉ロック」

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「うたのゆくえ」の余韻も未だぼんやり心に残る中、京都から台風クラブの「火の玉ロック」の7インチが届いた。

新曲のタイトルがジェリー・リー・ルイス往年のスタンダードナンバーと同じと知った時から、これはきっと広大なハイウェイを全速力でブッ飛ばすようなロックンロールに違いない、と思っていたのだけれど、開けてびっくり。The Byrdsを思わせるイントロから始まる、(私の知る限りでは)台風クラブ史上最も感傷的なメロディーと繊細なコードワークからなる楽曲だった。

そう、「火の玉」とは燃え上がる台風クラブのことではなく、彼らを次々と抜き去っていく、無数の車の赤いテールランプのことだったのである。

それに追いつこうとするわけでも、引き返そうとするわけでもなく、人生の結末を知っているかのような諦めに満ちた眼差しで、見送るだけの男の姿。

今回もまた、石塚淳の書く歌詞は暗い。ほとんど絶望的と言ってもいい。

 

彼の歌詞に出てくるのはいつだって、自分と、自分の部屋と、街だけ。まるっきりひとりぼっちである。

その完全に閉じた世界の中で抱えた蹉跌や不如意の原因はついぞ語られることなく、行く末も明かされない。

 

しかし、この第三者の介在を一切拒否したような世界の窓をこじ開けて、夕焼けを招き入れ、暗い顔を紅く染めていくのもまた、石塚淳自身による天才的なソングライティングであり、山本啓太、伊奈昌宏のドカドカっとしたバディ感たっぷりの演奏である。

曲が転調するたび、少しずつ灰色の世界に色がついていくこの感覚に名前をつけることはできないのだけれども、いつも俺は彼らの三分にも満たない楽曲の中に、瀕死の魂とその再生のドラマを見ている。

そしてその闇が深い分だけ、それを救い出すメロディと演奏が人懐こい分だけ、俺の魂の揺動もまた大きくなっていくのだ。

その意味で「火の玉ロック」は名曲ぞろいの台風クラブのレパートリーの中でも、特別な輝きを放っている。

 

しかし思えばきっと、ロックンロールってやつはジェリー・リー・ルイスの時代から、ラジオやジュークボックスを通じて、遠く離れた場所に住む誰かの孤独を浮かび上がらせ、そっと光を当ててきたのだろう。この曲で踊っている間は、お前も俺も一人じゃないぜ、と。


ちょっとチリチリした懐かしい音質のレコードに針を落とす度に、そんな感慨を抱いてしまう。

第二回うたのゆくえ(二日目)に行ってきました

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地方分権のかけ声も今は昔、政治も経済も東京への一極集中の度合いを高めまくってる現代の日本。

しかしポップミュージックの世界においては各地方をベースにしつつも、活動全国区で活躍するミュージシャンやレーベルが目立つ。

その背景には在京メジャーレーベルの地盤沈下という事情もあるのだろうけど、それはともかくとして、とりわけ近年の京都からは台風クラブや本日休演をはじめ、素晴らしいミュージシャンが次々と現れている。

 


そんな京都のオールスターキャストと、それに呼応する東京のミュージシャンが一同に会するイベント「うたのゆくえ」に行ってきました。

 


あまりにも観たいアーティストだらけすぎて、開催が発表された瞬間から、俺はもうこれだけを希望に年度末を生き抜くぞ…と思っていた次第です。

諸般の事情により残念ながら2日目だけの参加となりましたが、最高だった一日の記録を残しておきます。

 

 

開演は13時ということで、その前にレコード屋さん行ったり、聖地α-station(ラジオ局)を拝んだりしようかな…と思っていたのだけれども、急遽12時からタワーレコードで田中ヤコブがライブをやるということで、まずはそちらへ。ここから私の「うたのゆくえ」がスタート。

 

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18年のニューカマーの中では一番よく聴いたアルバムは多分彼の「お湯の中のナイフ」。

レイドバックしているようでいてニューウェーブ的な緊張感とモダンさのあるメロディー、そしてするっと入ってきていつのまにか壮絶なことになっているバカテクのエレキギターにすっかりやられてしまったのです。

それに加えてこの日のアコギ弾き語りでは、そのルーツにかなり濃厚なブルーズを感じて、一筋縄ではいかない音楽性が京都の街にとても似つかわしいもののように思われた(ヤコブ氏は東京から来たはずだけど)。

飄々とした語り口とインパクトのあるルックスもクセになりそうで、早くバンドセットで観たいという思いが募った。

 

 

 

さて。ヤコブ氏のライブ終了後、いよいよ会場であるVOX hallへ急ぐ。まずはメイン会場のホールで本日休演を。

 

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彼らのライブを観るのは約2年ぶり二度目。前回観たのは金山ブラジルコーヒーで、完璧なまでにねじ曲がった音楽性と予測のできないパフォーマンスに衝撃を受けたのだけれども、その核となっていた埜口敏博さんが直後に急逝。四人体制になってから初めて観た。かつての愛すべきすっとぼけた学生感は大きく後退し、EP-4やFriction、ゆらゆら帝国を彷彿とさせる、ひんやりとした硬質さが前景化されていた。ロックンロールというフォーマットから体温や感情をすべて取りさらったようないびつな音楽。のっけからとんでもなくかっこいいものを見てしまった…と口がポカンとあいた次第。

 


六曜社でコーヒーブレイクを挟んだ後に観たのは、京都初登場という東郷清丸。

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まるでビートルズゲットバックセッションのような都会のビルの屋上で清丸氏の歌を聴けるなんて…と思いきや本番直前になって突如雨と風が。さすが嵐を呼ぶ2兆円男である。

なんとか持ち直した空の下始まったライブは、よりスケールが大きくなった歌唱力が印象的。あっという間にみんなの心と京都の空に虹をかけていく。特に「Super Relax」と「サマタイム」はこのまま陽光の中に溶けるんじゃないかという気持ち良さ。しかしそれすらを上回る快感がこの日も披露された新曲「L&V」には宿っていて、一度聴いたら忘れられない止められない中毒性。来月にもリリースされるというニューアルバム(!)が法律で禁止されやしないかと心配なほどである。

 

 

 

さて、屋上からホールに戻ると、すでにとてつもなくファンキーなビートがガンガン鳴らされている。すばらしか、である。

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彼らが昨年出したアルバム「二枚目」があまりに素晴らしく、つい拙フリーペーパーの巻頭に歌詞を無断引用してしまった私だが、実はライブを見るのは今日が初めて。重ね重ね本当にすみません。

そのフリーペーパーを設置頂いたココナッツディスク吉祥寺の矢島店長に「ライブもつっぱっててかっこいいんですよ!」と教えてもらっていた通り、荒々しくてぶっきらぼうで、とんがりまくったロックンロール。いやだけどここまで壮絶なライブだとは思わなかった。

アルバムで聴かせたグッドメロディーはすべて解体され、ギターやクラビネットが時おり鳴らすリフに、そのわずかな痕跡が読み取れるだけ。ただひたすらにフロアの温度を上昇させるためだけのダンスミュージックへと変貌していた。この「うたのゆくえなんて知ったこっちゃないぜ」とばかりにボルテージを上げていく様に、97年のミッシェルガンエレファントの亡霊を見た。そしてラストのロック史上屈指の名曲スライアンドザファミリーストーン「Thank you」と取っ組み合いながら一体となっていく「うそは魔法」で、たぎった血液が体内を逆流するのを感じながら、俺はロックンロールでこんなに興奮したのはいつ以来だろうと考えていた。

 

 

さて、すばらしかで盛り上がり過ぎてフラフラになりながら移動すると、入口付近で「今からライブやりまーす。よろしくお願いしまーす」とビラを配る青年。そう、マーライオン本人である。なぜ会場の中でビラを配っているのか。ライブが始まる前から120%じゃないか。その心意気に胸を熱くしながらサブ会場である十八番へ。

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初めてマーライオンのライブを観た時は、その爆発的なパフォーマンスが俺の(暗くて小さい)脳内処理能力を超えてしまった感じだったのだけど、過去の音源もしっかり聴いて臨んだこの日のライブは、彼の表現を受け止められた(ような気がする)。

なんてことない人の、なんてことのない日常の、でも絶対に二度とない瞬間。そこに全力で、まさに120%の熱量でフォーカスしていくことの勇気。ステージ横で音楽ライターの岡村詩野さんがインスタでライブ配信するためにずっと撮影されているのを見て、そのつい応援したくなる気持ち、なんかわかります…と勝手に共感していた。

 


マーライオンの「よしみんなで山本精一観に行こうぜ!」という呼びかけに従い、続いてはメインステージで山本精一&SEA CAMEを。間違いなくこの日一番の大御所である。20年前、彼が率いる羅針盤「らご」の衝撃といったら。しかしそのホンモノぶりが私のようなあまちゃんには敷居が高いように思われ、ライブを観るのはこの日が初めて。

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どんなライブになるのかしらと緊張していたが、ボーカルの透明感、メロディの瑞々しさはあの当時のままで、今まで勝手にハードルを上げていたことがばからしく思えるほど、最高にポップな音楽。しかし、ギターの一音一音にはさすがの説得力が、バンドのアンサンブルにはえも言われぬ緊張感があり、やはりホンモノは違うぜ…と唸ってしまうライブだった。今日のような機会がなければ、ずっと見逃し続けたままになっていたかもしれない。主催者様に感謝したい。

 


京都は夜の6時。さぁいよいよ佳境に…という時間帯でありましたが、寄る年波と空腹には勝てません。ちょっと街に出て休憩。どなたかがまとめてくださっていた#ラジカクキョート部で紹介されていたお店リストから見つけたお店に向かうも、立ち飲み屋さんだったため断念(足が限界)。適当に選んだ近くの居酒屋に入る。有線で徳永英明とかバブルガムブラザーズがかかる店なのに、トイレに誰かが貼ったEP-4のステッカーが残されていて、改めて京都という街の業の深さを感じた。

 

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さて再び会場に戻り、中村佳穂のライブを。

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各所で去年のベストアルバムとの賞賛されている「AINOU」に私もぶっとばされた一人だが、あまりにも急激に人気が出るものだから、このタイミングを逃すともう観ることもないかもな…と思ったりもしていた。が、本当観れて良かったです!と言いたくなるライブだった。あれをライブと呼んでしまっていいのか、よくわからないくらいの体験だったのだけれども。

一言で表現すると、モノが違う。細かな音楽性を云々することが意味のないものに思えてしまうほど、中村佳穂自身が放つパワーが圧倒的。音楽が身体と分かち難く結びついているというか、一挙手一投足のすべてが音楽になっているというか。それでいて、圧倒的なカリスマにありがちな暑苦しい圧力も感じさせない、ポップミュージックとしての軽やかさもあるという、不思議としか言いようのないライブ。

この奔放な輝きをよく一枚の録音物に封じ込めることができたものだな…と改めて「AINOU」という作品の果てしなさも感じずにはいられなかった。


この後もトリの折坂悠太までがっつりいきたいところだったのだけれども、終電の関係で、ギリシャラブをちょっとだけ見てから会場を後に。


帰りの新幹線の中、なぜ京都がインディーシーンにおいて特別な存在なのか、ということをぼんやりと考えていた(ちなみに京都市の人口は148万人、名古屋市は230万人、大阪市は270万人である)。

それはおそらく、大学という有為な若者を引き寄せる施設が集まり、自由な表現を許容するライブハウスやカフェが充実していて、彼らに愛ある眼差しを注ぐ今回の主催者である須藤朋寿さんのようなオーガナイザーや、岡村詩野さんのような評論家がいて、さらには日本で一番インディペンデントな音楽に理解のあるα-stationというラジオ局まで存在している、つまり新しい音楽が生まれ、育ち、発信されるエコシステムが成立しているから、ということなのだろう。


なんとうらやましいと思わずにはいられないけど、辺境の地から現れる奇跡を目撃するというのもなかなかロマンのある話じゃないか。日本のデトロイトこと愛知県に住む私も、そんな瞬間に立ち会えるように徳を積みながら生きていきたい。

 

 

そして人生は回る。 さとうもか「Merry Go Round」について。

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老若男女を問わず聴く者すべての心を奪う名曲ばかりがずらりとならんだ、さとうもかのデビュー作「Lukewarm」。


待ちに待ったセカンドアルバム「Merry Go Round」は、あのつい口ずさみたくなる親しみやすさはそのままに、より深い感情が刻み込まれた楽曲が13曲も収録されています。全員必ず聴いてください。

 


以上。

 


この作品の素晴らしさを伝えるにはこれだけで言っておけばほぼほぼオーケー。もう何も付け加えることはない…はずなんだけど、やはり妄想刑事としてどうしても申し上げておきたいことがあります。

 


それは、アルバム全体を包み込むストーリーの存在が、この作品を揺るぎない名盤へと押し上げているのではないか、ということであります。

 

 

 

アルバムの前半でそのカギとなるのは、M1「Insomnia flower」から切れ目なく連なるM3「ばかみたい」。


10年代ヒップホップをさとうもか的に咀嚼したクールなトラックに乗せられる、訴求力と洗練が同居した流麗なメロディー、リアルなリリック。

こりゃこのまま月9の主題歌になってもおかしくないぜ…とテンションが高まってきたところで入り込んでくる、プロデューサーである入江陽のラップ。そこにはこんなシーンが描かれている。

 


夜中のカフェで寝落ちしそうになりながら、「もかチャンの恋バナ」を延々と聞かされる男(おそらく密かにもかチャンに好意を抱いている)。

 


さすがにちょっとイライラして

「もかさんはどうしたいの?」聞くと、

「それがわかりゃ苦労しないわ」と理不尽に怒られて、心に割り切れないものを抱える。

(「 」部はいずれも原文ママ


あえて実名を登場させたこの生々しいリリックによって、フィクションとノンフィクションの壁を壊していくと共に、1曲目のタイトル「Insomnia Flower =不眠症の花」に込められた伏線もさりげなく回収する。


つまりこの16小節が、アルバムに収録された楽曲にさとうもか自身のパーソナルな感情が込められていることと、それらの楽曲が相互に作用しながらアルバムが構成されていることを聴き手に強く印象付けた、という事である。このもか&陽の華麗で周到な仕事ぶりに震えが止まらない。

 

 

こうして作品全体への求心力をぐっと高めたところでドロップされるのはM5「LOOP」。

この曲をライブで初めて聴いた時は、バンドサウンドを加速させていくメロディーが最高に気持ちよくて、これはスカート「静かな夜がいい」以来のRIDE ON TIMEポップスだ!と熱くなっていたのですが、Tomgggにアレンジを託したアルバムバージョンは、むしろChocolat以来のレイハラカミポップスだと呼びたくなる、熱い感情がギュッとクールにパッケージされた、アルバム全体のテイストにふさわしいものになっていた。

そして、「メリーゴーランド=回転木馬」というアルバムの中心にある曲が「LOOP=円環」と言うのも、なんだか象徴的である。

 


そしてタイトルトラックであるM10「Merry Go Round」。

さとうもかの特長の一つである、ディズニー映画のようにキラキラしたメロディに乗せて歌い出される、

「私の人生の一番素敵な日には どうか君がいてほしいんだ」

というまっすぐなフレーズに、「Merry Go Round」というアルバムタイトルが、楽しいだけのアトラクションを表しているわけではなく、めまぐるしく回り続け、確かなことなど一つもない「人生」そのものを表していることに気づかされる。

そしてそんな思うようにならない回転木馬の上で綴られる、

「幸せになろう ふたり一緒にね」

というとてもシンプルでささやかな願い。


この歌詞を噛み締めてから、

「ジェットコースターこわくないよ ジェットコースターこわくないよ」

と、ロボ声で繰り返すだけのM11「こわくない」を聴くと、ふざけてるとしか思えないこの曲も、「シャレにならないスリルに満ちた遊園地=人生」を乗り越えていくための、大切なおまじないのように聴こえてくる。


この楽曲同士の相互作用と相乗効果。

かつてプリンスがグラミー賞のスピーチで語った「みんな忘れちゃってるかもしれないけど、アルバムって大事だよ」というセリフが頭をよぎるじゃありませんか。

 

そして回り続けたメリーゴーランドも、いよいよ閉園直前のクライマックスへ。


トリを飾るのは去年配信でリリースされて以来、ポップミュージックラバーの心を貫いたままの名曲「melt summer」。

さとうもかが、ユーミンaikoに比肩する才能の持ち主であることを完全に証明してしまった決定打。

改めてこのドラマチックな名曲をアルバムの中で聴くと、ここまで丹念に描いてきた物語を、花火のように昇華させる爆発力がある。


特に素晴らしいのが、否が応でも映像を喚起させる歌詞。


「時が止まった

 息の仕方も わかんない手の位置も

 考える暇はなかったの

 一瞬の一生だった」


という冒頭。


こんなおっさんが言うのもアレなんですけど、この「一瞬の一生だった」というフレーズが指している状態って、いわゆるキュン死って呼ばれるやつですよね?

それをこの歌の世界にふさわしい、リアルな手触りのある一言で表してしまうセンスに、さとうもかの非凡さが凝縮されていると思うのですよ。


映画のエンドロールのように流れていくエモーショナルなアウトロにシビれながら、この曲で青春を鮮やかに彩っていくであろう日本中のガールズ&ボーイズの眩しい姿を思い浮かべずにはいられませんでしたね。。。

 

というわけで、私が思うところを長々と暑苦しく書いてしまったので、もしかしたらこの作品自体がそういうものではないか、という誤解を与えてしまったかもしれないのですが、安心して下さい。実はこの作品、トータル33分しかないのです。これだけの情報量を詰め込んでいるのに!

このサブスク時代のサイズ感、繰り返し聴きたくなる(ループ!)余白を残しておく入江陽のプロデュースワークは本当に隙がないな…とまたしても戦慄が走るのであります。


というわけで、さとうもかの新作「Merry Go Round」はぜひ歌詞カードを読みながら、何度も聴いて頂くことをオススメしたい作品となっております。

 

こちらからは以上です。

 

 

Lee & Small Mountainsのラストライブを観た話。

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リースモの音楽とは、キリンレモンである。

 

さわやかな甘さとほのかなすっぱさ。それでいてパンチのある炭酸が効いていて。なによりも、いつ飲んだって絶対に美味しい。

あまりにもさりげなく、優しい面持ちでいてくれるものだから、刺激的なコピーを引っさげて現れる新製品の前では控え目に見えるかもしれないけど、まあ一口飲んでみてくれよ。やっぱこれだな!という気持ちになるから。


そんなリースモ、略さずに言うとLee &Small Mountainsという名前の最高にイカしたプロジェクトが、その看板を下ろすという。

今から3年前、彼らの7インチ「Teleport  City」に出会って心を躍らせ、ついにはリー・ファンデ本人のライブを企画するくらいに人生を変えられてしまった者として、この節目のライブは絶対に目撃したいと願っていたのだけれども、やっぱ神さまっているのかもしれない。なぜか俺はその日、下北沢はモナレコードにいたのだよ。

 

開演からだいぶ遅れて会場に到着すると、ステージではちょうど対バンのSaToAが演奏を始めるところだった。

去年ハポンでライブを初めて観て以来二度目。


名作 「スリーショット」からのナンバーが中心だったこの日もライブも、ソフトロックなハーモニー、その裏側からチラッと見えるパンクな鋭さとソウルの熱さがかっこいい。


こうした過去の音楽的遺産をセンス良く参照していくスタイルの音楽をこの時代に表現しようと思うと、DJや打ち込みの方が自然のように思えるのだけれど、あえてバンドで、しかもスリーピースで、という意思こそが、彼女たちにしか放つことのできない輝きの根源にあるように思えた。


(この時点では)まだ発売前の新譜からの曲も聴けたのだけれども、どこかオルタナ感のあるメロディーが新鮮で、彼女たちの音楽が届く射程距離がぐっと伸びるような気がした。

そしてワタシは、この繊細だけど確かな光を、いくつになっても感じられる人間でありたいと強く思いましたね。

 

さて、続いて登場するのはこの日の主役、Lee & Small Mountains。バンドが演奏するソウルフルなイントロダクションが鳴り響く中、客席後方から(プロレスラーのようなスタイルで)入場してきたリー・ファンデ。

長い手足をスーツに包んだ姿が実に精悍。


学生時代から名乗ってきたリースモ名義のラストライブということで、きっとこれまでの集大成的セットリストになるのだろう…と勝手に予想していたのだけれども、この日の本編は一曲を除いてすべて未音源化の新曲。


「カーテンナイツ」からはやんないのかい!とツッコミつつも、ソロアーティストとしてのリー・ファンデの第一歩を刻みたいという意気込みや良し。やっぱソウルボーイはこうでないと!


その新曲たちは、これまでのソウルをベースにした路線を踏襲しつつも、よりポップな彩りと、メロディーの力を重視しているような印象の曲が多いように思える一方、スティービーワンダーの「Superstition」を下敷きにしたであろう重いファンクナンバーもあったりして、来るべき次作の充実をギンギンに予感させてくれた。


さて実は私、リースモをバンドで観るのは実はまだ2回目でして、1度目は野外のイベントだったこともあり、じっくり堪能したのは今日が初めてと言ってもいいんですが、この地に足の着いたグルーヴが実に気持ちいい。パーマネントなバンドじゃないというのが不思議なくらいのステディ感。このバンドで名古屋また来てほしい。


そしてそんな完璧なアシストを受けて聴き手のゴールに迫るのボーカルのリー・ファンデ。

オーセンティックなメロディーに「今・ここ」の切実さを宿らせて、オーディエンスの心の壁を真正面から貫こうとする、熱くて青くて愛に溢れたうた。観るたびにスケールが大きくなっているように思えてならない。

 

最高だ…と感極まったところで時計の針は9:30を指していた。シンデレラおじさんことドリーミー刑事(40歳)、お迎えの馬車が来たようです。泣く泣く本編ラスト曲で会場を後に…。

最終の新幹線の中でアンコールが「Teleport City」「山の中で踊りましょう」だったことを知り、100万バレルの涙で大井川を氾濫させました。


ちなみにLee & Small Mountainsという名前はこの日は最後ですが、今後はリー・ファンデという名前で今日のバンドメンバーと共に活動していくとのこと。


また新たな歌を聴かせてくれる日を私は心から待っております。

 

新しさの洪水。長谷川白紙とCRCK/LCKSのライブを観ました。

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一日中オフィスに篭って一つでも多く今年の言い訳と来年のはったりを考えねばならない年度末。

それなのに突如ぶち込まれた取引先との打ち合わせ。


うんざりしながら日時を確認すると、3月7日の夕方。場所は新栄…ってことはとうの昔に諦めていたCRCK/LCKSと長谷川白紙のライブ会場の目と鼻の先じゃないですか。

神様っているかもね…と思いながら当日券でアポロベイスに駆け込んだのは開演2分前。

メール大好きな上司に邪魔されないよう携帯は機内モード。2時間消えます。探さないでください。

 

 

先に登場したのは、新鋭・長谷川白紙。

先日リリースされた「草木萌動」のとんでもなさにブッ飛ばされて、一日も早くライブを観たいと思っていた。


Macとキーボードのみが置かれたステージに

現れた長谷川白紙は、挨拶もなく一心不乱にアブストラクトな旋律を奏でたかと思うと、ビートとノイズとメロディーが一体となった音の濁流をフロアに一気に放つ。いきなり洪水状態に。

客席後方にいた私だったが、この音を全身で浴びたい、たとえ鼓膜が破れても。というとても強力な欲望を抑えることができず、瞳孔を開きヨダレをたらしながらフラフラとスピーカーの前へ。


初めて見る長谷川青年は、想像通りいかにも繊細でお日さまが似合わなさそうなルックス。そんな奥手そうな20歳が作り出す音楽は、あまりにも挑戦的で野心的で革新的だった。


もはや感情すら読み取れないほどに細かく引きちぎられ、また集積されて投げつけられる音の塊。

一拍先も予想できないそのサウンドは、まるで超音速の旅客機で、シカゴ、ニューヨーク、デトロイト、ロンドン、ブリストルマンチェスターアムステルダム、ベルリン、東京、京都…すべてのダンスミュージックの聖地を巡る旅のようである。

果たしてその根底にあるのは愛か、憎悪か、無関心か。その感情を読み取ることすらできないほどの情報過多。5Gで音楽を無限に摂取可能な時代を象徴する音楽。


しかしこの40年に亘るダンスミュージック史を3分で駆け抜ける快感も、長谷川白紙の底知れなさの半分未満しか説明していない。

彼のもう一つの魅力は、手がつけられないほど混沌としたリズムを、時に包み込み、時にブーストさせ、時に制圧するような歌を生み出すシンガー・メロディーメーカーとしての側面だ。

例えば、スペーシーな壮大さとサヴダージな余韻が同居した「草木」、発狂したスクエアプッシャーの高速ブレイクビーツをさらに加速させていく「毒」の革新性を前に、いったい過去のどのアーティストを参照して理解をすれば良いか、途方に暮れてしまう。


ここ数年、自分より年下のミュージシャンがつくる素晴らしい音楽との出会いはたくさんあったけれども、音楽の「新しさ」そのものに興奮するなんて一体どれくらいぶりだろう。長生きはしてみるものだ。


ちなみにこの日は「草木萌動」に収録されたYMOの「CUE」のカバー(素晴らしい)も披露してくれた。

コーネリアス高野寛といった偉大な先達もカバーしたこの名曲に耳を奪われながら、YMOの遺伝子を引き継ぐ最新型のミュージシャンがここにいますよーと、ちょうど前日に50年のキャリアを振り返る「HOCHONO HOUSE」をリリースした細野晴臣御大に大声で教えてあげたい気持ちになりました。もうとっくに知ってるかもしれませんが。

 

続いて登場するのは本日のメインアクトCRCK/LCKS。

こちらも初見。音源もほとんど聴いていない完全にはじめまして状態。

東京芸大やらバークリーやら、メンバーの皆様のアカデミックすぎる経歴からスノッブでアートコンシャスな音楽を想像していたのだけれども、意外や意外。

その超絶テクのすべてをポップスの楽しさ、多幸感をぐんぐん拡張させていくために捧げているような音楽だった。

 

特に麗しのODさんの堂々たるディーバ感にはとても驚いた。声も喋り方も完全にプロフェッショナルな上質さ。

そしてそれを支えるメンバーの演奏は、ファンク、フュージョンプログレ、MTVにエピックソニーと、パンクかレイブの洗礼を受けていないものは全てダサいと見なされていた90年代を青春の主戦場を過ごした世代の人間(=俺)としては敬遠しがちな要素を惚れ惚れするほどの手つきで解体・再構築していくもの。

んん?という違和感がいつの間にか、おお!と身体と心が動いてしまっている説得力と新鮮さが気持ちいい。


たぶんそのキモは石若駿の、ディアンジェロ・グラスパー以降のと言えばいいのか、1秒という時間の概念をねじ曲げてしまうような、驚異的なドラムのモダンさにあるような気がしました。

私も宴会ドラマーのはしくれとしてなにかスキルを盗んでやろうと凝視してましたけど、どう手足が動いてどう音が鳴ってるのかまったくわからなかったっすね。(あたりまえ)。


バンドとしての一体感、屈託のない感情の発露。孤独なベッドルームが似合う長谷川白紙とは少なくとも外観上は対照的な音楽。

でもとんでもない情報量のポップス世界遺産をギュッと圧縮して2019年の一曲にしてしまうという意味においては、共通した哲学がある気もする。

北極経由か南極経由か、ポップミュージックをめぐる旅とはかくも自由で多様性と驚きに満ちたものであるかを実感させてもらえた一夜。

サラリーマンとしての責任を投げ捨てでも駆けつけて良かったな、と思いました。

 

もちろん翌朝は「出張先から直帰とはいいご身分だな…」という上司のかわいがりで始まりましたけどね。

人生のクロスロードが重なり合った夜。THE COLLECTORSのライブに行ってきた話。

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自分でも信じられないことだけれども、最後にコレクターズのライブを観たのは今から12年前、2007年2月広島クアトロでサンボマスターと対バンした時だ。

 


そして最初に彼らを観たのはそこからさらに遡ること6年前の2001年。

会場はクアトロよりもずっと小さい名古屋エレクトリックレディランドだった。

あの決して広くはないELLのステージに、長身のメンバー4人が現れた瞬間のかっこよさ!

「これがロックスターってやつか!」という高揚がずっと忘れられず、今日もクアトロまで来てしまったようなものだ。

キャリアの長いバンドは、人から聞かれた時にどうオススメするのかが難しいんだけど、コレクターズに関しては「ライブを観てくれればわかる」という答えですべてこと足りてしまう。

そんなバンドなのに、ここ数年はまったく予定が合わず、より熱心なファンである妻の留守番という地位に甘んじてしまっていたのだ。

 

 

ほぼ開演時刻ぴったりにメンバー登場。

ソールドアウトのフロアーは大盛り上がり。


グリッターなジャケットに身を包んだリーダーはめちゃくちゃ元気だし、コータロー君が放つ色気に至ってはもう目が合っただけで妊娠するんじゃないかというレベル。


でも、でも…今さらこんなこと言うのは本当に野暮だってわかってるんだけど、やっぱりあの四人じゃない…という気持ちが心の片隅でシクシク痛む、というのも正直なところ。

 

不義理をした12年という時間の長さと、コレクターズの歩んできたけもの道の険しさを噛みしめる。

広島のライブの時に妻のお腹の中にいた(ことが後に判明する)娘も、もう今年12歳だもんな。

人生もバンドも、ずっとミリオンクロスロードだよ…。

 

 

しかしJEFF & coziの新リズム隊はとにかくタイトでパワフル。

THE WHOへの深すぎる愛に生きる加藤ひさしが、後ろ指をさされてでも欲しかったビートはこれか、と少しだけわかったような気になる。

 


そしてそのリズムの上で、出たばかりの新作「YOUNG MAN ROCK」からのナンバーを気持ち良さそうに歌う加藤ひさしは、今まで見たことがないくらい機嫌が良く、子供のように明るい。「青春ミラー」発売時のインストアイベントでずっと文句ばっかり言ってた人と同一人物とは思えない。

 


何度もMCで(あらゆるアーティストにとって鬼門である)名古屋公演がソールドアウトしたことの喜びと感謝をストレートに表現していて、こちらまでウルっときそうになる。

 


「世界をとめて」「ファニーフェイス」など、旧作からも何曲か演奏してくれたけど、やはり新曲を演奏している時の方がバンドのテンションが段違いに高い。俺なんかよりずっとキャリアの長そうなファンの人たちも大喜びだ。

今のコレクターズが充実ぶりを表す、実に幸福な光景。

還暦目前、結成30年を優に超えてバンド史上最大の黄金期を迎えるパイセンがいるってことの尊さよ。

 

 

 

彼らがつかみ取った夜明けと未来と未来のカタチの余韻に浸りながら、焼き鳥屋のカウンターで熱燗をキメた夜。。。

 

 

 

スカートの新作をココナッツディスクで買った日のこと

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さる1月22日、私は都内某所に出張していた。

 

仕事で東京にしょっちゅう来ているものの、レコード屋さんが営業しているような時間にフリーになることはめったになく、しかもその日はスカートの新曲「君がいるなら」のフラゲ日だった。

取引先での打ち合わせが終わった後、私は地理に不案内な上司を東京砂漠ど真ん中に置き去りにし、ココナッツディスク吉祥寺に走った。

 

基本的に私はおトクなものが大好きな性分だし(プレミアのついたレコードとか一度も買ったことない)、一定以上の音質で聴ければフォーマットに強いこだわりもないし、そもそも文化資本が乏しい地方在住の身としては、CDやレコードの入手はオンラインに頼ざるを得ないし、もちろんサブスクにもしっかり加入している。

しかしそんな私だからこそ言える逆説的な事実は、「いつ・どこで・どうやって・それを手に入れたのか」ということが、音楽そのものに対する愛着を変化させるということである。

つまり、余計なことはしすぎる方がいいよ、ということ。

 

なので、せっかくこんな日に東京にいるのだから、新幹線の時間を遅らせてでも、あるいは上司の怒りを買ってでも、ココ吉に足を運びスカートの新譜を買うという行為には、それに見合う十分な価値があるのだ。

 

吉祥寺駅から徒歩5分。店の入口で視界に飛び込んでくるのは、私がつくった例のフリーペーパー。

貴重なスペースの一角を、この怪しげな紙で占領させてもらっていることに改めて感謝の念が湧いてくる。

どうか一人でも多くの方に手に取って頂き、あーだこーだと話のネタにしてもらい、レコード店に再び足を運ぶきっかけになってくれることを祈るばかり。

そして売り場に足を踏み入れると目に入るのは、おそらく届いたばかりの「君がいるなら」がずらっと並んだ棚。

この光景を見るために、私はここに来たと言っても過言ではない。

 

もちろんここで売っているCDも、オンラインで注文してコンビニで受け取るCDも、同じ工場の同じラインで製造された物質的にはまったく同じものである。

しかし、そのCDが震わせる空気を受け止める、俺の鼓膜や脳までもが同じであると言い切ることが、果たして誰にできようか。


必然と偶然によってここに集まってきた膨大なレコードやCDの中から、自分の目で見て、手で触れて、なんなら匂いまで吸い込んで選んだ、30年前の沢田研二の7インチやスクーターズのCD、そして去年出たばかりの工藤将也のCD-R。

それらと共に袋に入れてもらったスカートのニューシングルは、間違いなく俺だけのためにカスタマイズされた「君がいるなら」だ。

 

そんな自己満足の詰まった物質で狭い部屋を満たしていく倒錯的な喜びを、AmazonSpotifyは届けてくれないのである。


そう言えば、震災後の女川を歩いたロロの三浦直之は、「記憶とは自分の内側ではなく、外側に宿るもの」と言っていた。

ならばレコードやCDとは、アーティストの歌と演奏だけではなく、聴き手である私たちの記憶をも封じ込めてくれる媒体である。

そしてそれらを過剰な愛と共に私たちに届けてくれる、ローカルでインディペンデントなレコード店

私にそんなことを願う資格はないけれど、いつまでもそれぞれの街の文化的灯台として、私たちの闇を照らしてほしいと思わずにはいられないのです。