ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

バナナレコードでバイトしたいサラリーマンが投げるmessage in a bottle

もうロマンチックなものしか聴きたくないよ。 ミツメ「エスパー」

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10月にスカートが、11月にはトリプルファイヤーがそれぞれシーンに衝撃を与える名作をドロップした2017ペナントレース後半戦。

東京インディー三銃士、奇跡の惑星直列のしんがりを務めるのは、しゅっとしたファブフォー・ミツメである。

 

それにしてもこの状況。
まるで1985年4月17日の阪神タイガースvs巨人戦。バース(スカート)、掛布(トリプルファイヤー)が二者連続でバックスクリーンにホームランを叩き込んだ後に打席へ入る岡田彰布のようなもの。
「まさか三者連続ホームランなんて…」と誰もが思ったその刹那、心のバックスクリーンに飛び込む大アーチ「エスパー」をぶち込んできましたよ、涼しい顔して。


イントロの1小節目から、キラリと光りながら空を飛ぶシンセサイザーの音と、鼻の奥がツンとするベースラインで聴き手の身体を優しくつかみ上げる。

そしてそのまま上空10メートルくらいをふわふわと飛んでいくようなAメロ、Bメロを経て、ミツメ史上最大級に開かれたサビに突入。
聴き手の共感をささやかに誘うハンドクラップも、プリファブスプラウト級にキラキラしたギターソロも、映画のようなストーリーを感じさせる歌詞にも、今までにない体温を感じる。

デビュー作「mitusme」、2作目「eye」で極めたメロディを解体して、再構築してきたミツメが鳴らす、これまでにないスケール感のポップミュージック。

 

俺はもうロマンチックなものしか聴きたくないよ…。
そんな気持ちになりました。


カップリングの「青い月」も同じくビーチボーイズ的なたまらない甘さを含んだグッドメロディ。「エスパー」と同様に、万人に開かれた名曲。
おまけにアウトロではミツメのトレードマークとも言うべき繊細なカッティングギターとコーラス、シンセサイザーの三者によるスリリングなせめぎ合いまで堪能できる。ライブで感じるあの高揚感!
いわばミツメの魅力が全て詰まった4分46秒だ。

 


そして最後に、この二曲を包みこむアートワークにも触れておかなければならない。
聴く前にはミステリアスな期待感を抱かせ、聴いた後には楽曲とのシンクロ感でシビレさせるトヤマタクロウによるジャケット写真。
そういえば2016年はこの人の写真展で納めたのだった。

 

今年も冬の元気なご挨拶を頂いた気分です。

 

演出のないロックオペラのような。 サニーデイ ・サービス「Dance to the Popcorn city」

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あの突然のストリーミング限定リリースから半年、俺にとっての2017年下半期は「Popcorn Ballads」の季節だった。
それくらいこの大作の謎めいた魅力に翻弄されていた。ブログもしつこく二回書いた。

なのでその「Popcorn ballads」と前作にして傑作「Dance to you」のみを演奏するライブ、その名も「Dance to the Popcorn city」が東京と大阪のみ、しかも平日に開催されるというニュースを耳にした時も、私の中に迷いはなかった。何があってもこの日は行くと心に決めて会社のスケジュール帳に大きな×を書き込んだ。

 

会場は梅田クラブクアトロ
何を隠そう大阪でライブを観るのは初めて。
山下達郎「BOMBER」、THE COLLECTORS「世界を止めて」の人気に最初に火をつけた土地で、サニーデイ・サービス史上最も肉体的な作品を堪能できるというのは実に理想的な環境ではないかと思いつつ会場へ滑り込む。フロアではルースターズの「ニュールンベルグでささやいて」が流れていた。


定刻の19:30を迎え、ジョン・レノンの「Cold Turkey」が鳴り響き、ステージが暗転。
戦時下というテーマにふさわしい重厚で悲愴感のあるオーケストラの調べに乗ってメンバーが登場。
8月野音と同じ5ピースに、サックス・加藤雄一郎を加えた6人体制。


1曲目は「Tシャツ」。たった56秒で駆け抜けるロックンロールナンバー。最新型のダンスビートを基調とした「Popcorn ballads」では異彩を放つ曲だったので意外だったけど、若い恋人たちの些細な苛立ちを描いたこの曲が先頭にくることで、壮大なSFのような「Popcorn Ballads」の世界に、生身の主人公が浮かび上がってくるようである。

 

ここからいよいよ「東京市憂愁」「青い戦車」「泡アワー」と「Popcorn Ballads」のディトピアでファンキーな世界観の核となる名曲がたたみかけられたわけだけど、「そう!これ!これが聴きたくてここにきたのよ!」と叫びたくなるスリリングなグルーヴ。
特に岡山健二の叩き出すドラムの、曽我部恵一が放つ熱量と真っ向から胸ぐらを掴み合うような迫力は、手練揃いのバンドを思いっきりドライブさせていたように思う。


そして梅田クアトロはとにかく音がクリア。
ギター新井仁曽我部恵一のすさまじいせめぎ合いがこんなにクリアに聴けるのは初めてだ。

 

5曲目で初めて「DANCE TO YOU」からのナンバー「パンチドランク・ラブソング」が披露される。続く「summer baby」と共に、それまでの3曲で構築された堅牢な世界の片隅に生きる若者たちの息遣いに聞こえてきそうな感覚。楽曲にはもちろん、このストーリーを感じさせる構成にグッとくる。

 

ここまでですでに大阪まで来て良かったよ…という状態ではあったのだけれども、まだまだ序盤戦が終わったところ。まだ1/3にも満たないのである。いかにこの2作が充実していたか、ということだろう。

 

そして中盤のクライマックスは何と言っても「流れ星」「花火」「クリスマス」の流れ。

荒々しいサックス、掻き毟るギターと炎のような咆哮。今この瞬間だけを信じて、過去も未来も全て焼き尽くしてしまわんばかり「流れ星」の熱量。
一転して、その燃え上がる世界をも二人の愛を彩る背景にしてしまうほどにロマンティックな「花火」のスケール感。
そして過酷な運命を背負った少女の姿を、とびきり美しくスウィートなダンスチューンに封じ込めてしまった、おそらく20年後のフロアも揺らし続けるであろう2017年屈指のキラーチューン「クリスマス」。

この三曲三様の振り切った世界に命を吹き込み、オーディエンスの耳ではなく魂に直接流し込んでくるようなサニーデイ ・サービス、そして曽我部恵一の表現力に震えた。


サイケデリックなほどにメランコリーな「ハニー」、退廃的でオリエンタルなグルーブ「虹の外」を挟んで、後半戦のスタートは今や新たなサニーデイラシックスと言うべき「セツナ」から。

美しいメロディをたたえた端正なロックナンバーが徐々に熱を帯び、最終的にジミヘンとピート・タウンゼントが憑依したとしか思えない危険な領域に突入していく様は何度体験しても壮絶。
ステージ上のメンバーがバトルロワイヤル状態で入り乱れる長い長いアウトロが終わり、次の曲で使うギターをローディーが運びこもうとした瞬間に、さっき聴いたばかりのリフを再び弾き始める曽我部恵一と、ほんの一瞬の空白の後に演奏を始めるメンバー。まさかの「セツナ」リプライズ!ほとんど命がけである。
その直後に演奏された「透明でも透明じゃなくても」の静謐な美しさとのコントラストも合わせ、もはや異常。他に言葉が見つからない。

 

そして後半戦もう一つの白眉は「セツナ」と同じく「DANCE TO YOU」からのニュークラシック「桜 super love」。
大切な誰かの不在をテーマにした歌が、戦火に包まれるPopcorn cityで鳴らされることで生まれる新しいストーリー。
現実とフィクションの拮抗すらも手のひらに乗せて転がしてしまうのが今のサニーデイの凄み。

切実なメロウネスとファンクネスが凝縮されたような「金星」、不穏なくらいに享楽的なオアシステイストのロックンロールナンバー「サマーレイン」で本編終了。

 

ここまででたぶん2時間以上。
普通のロックンロールのライブでは考えられない桁外れの濃密さに、ロックオペラという単語が頭に浮かぶ。
しかもそれは演出ゼロ、生身のミュージシャンによる、魂を削るような楽曲だけで構成された一大巨編。完全にイかれてる。


アンコールは高野勲のピアノに合わせて曽我部恵一がハンドマイク(!)で歌い上げる新曲「きみの部屋」から。「どうせなら二人で 恐怖と驚きの一夜を過ごすのもいいでしょ」という歌詞が、電車の中でジョージ・オーウェルの「1984」を読んでいた私の心に沁みる。ビッグブラザーでもAIでも統制できない人間の魂ってものがあるだろ。それが正解じゃなくても、汚れちまったものだとしても。

続いては「血を流そう」。2時間以上に亘って魂の交換をしてきた私たちにこれ以上ふさわしい曲があるだろうか。灼熱のロックンロールにぶった切られて、あたり一面血の海だぜ…。

そして本当の最後は小西康陽リミックスによる「クリスマス」のB面に収められた「Rose for Sally」。
まさにサニーサイドのサニーデイサービス。心の中を暖かくして、家路につかせてくれる、ホットワインのような歌だった。

 

しかし時刻はすでに22時近く。
私が家路に着くための電車はもうない。
関西に暮らす音楽を愛する人たちと慌ただしく感想を交わした後、深夜の高速道路をひた走るバスに飛び乗った。


01 Tシャツ
02 東京市憂愁(トーキョーシティーブルース)
03 青い戦車
04 泡アワー
05 パンチドランク・ラブソング
06 summer baby
07 すべての若き動物たち
08 苺畑でつかまえて
09 流れ星
10 花火
11 クリスマス
12 ハニー
13 虹の外
14 セツナ
15 セツナ
16 透明でも透明じゃなくても
17 桜 super love
18 金星
19 サマー・レイン
encore
01 きみの部屋
02 血を流そう
03 Rose for Sally(クリスマス・ソング

規格外のルーキー現る 東郷清丸「2兆円」

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インディー界を牛耳るグルーヴマスターあだち麗三郎による全面サポート、超一流のポップミュージックソムリエ・スカート澤部渡の推薦コメント、そしてインディーレコード店の良心・ココナッツディスク吉祥寺の大プッシュという、まさに走攻守三拍子揃った大型新人・東郷清丸のデビューアルバム「2兆円」。

 

なので当然のように聴く前からきっと良い作品なんだろうなとは思っていた。野球に例えるなら、「打率28分、本塁打15本、10盗塁」くらいは十分に期待できるんじゃないか、と。

 

ところがどっこい実際に聞いてみるとどうでしょう。

 

「打率3割、本塁打20本、しかも全てランニングホームラン」という漫画感覚の大活躍!「自分で値段をつけるなら2兆円」という本人のコメントはビッグマウスではないことを証明する傑作じゃないですか。

 

と、声を大にして言いたいところなんだけど、この二枚組60曲というボリュームに、聴くことをためらってしまう人もいるかもしれない。そんな方はまずディスクA9曲目まで)を聴いてみて頂きたい。

 

一聴するとかつてのグランドロイヤル周辺を彷彿とさせる、ローファイで余白の多い、宅録感のある音である。

 

しかし例えば90年代のフィッシュマンズヨラテンゴ、あるいは10年代のミツメや坂本慎太郎がそうであるように、その余白はただの「無」ではない。東郷清丸というシンガーソングライターが描く世界を投影するためのスクリーンとして機能している。

そこに映写される、8ミリフィルムの映像のようにざらついた、甘くほのかに闇を感じさせる妖しいメロディ。そっけないようでいて、絶妙に揺らぎながら急所を突くリズム。艶のある歌声に乗せて届けられる暗示的な言葉たち。

 端正なマナーの中にも、かすかな野生が息づくポップソングの数々に、好きモノのあなたならつい唸ってしまうこと間違いなしだろう。

 

そして彼の宅録部屋の押入れの奥から繋がるアナザーワールドことディスクB

エレクトロからアシッドフォーク、パワーポップにネオソウル。まるでテーマパークのアトラクションのように駆け抜けていく51曲。

その全てに底通するのは、人を食ったようなユーモアとどこまでも自由な想像力、そして先人の遺産を軽やかに自分のものにしてしまう咀嚼力。

 

その奔放さに私の年代物のimacも腰を抜かしたため、ディスクBリッピングができないこともあり、まだ私も全てを堪能したとはとても言えない状態だが、この地下に広がる秘密基地感に胸のミゾミゾが止まらない。

 

今から1月にあるライブが楽しみなのである。

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「月光密造を密造する夜」と次回「KENNEDY!!!」の話

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「ブログを100本書くより、イベント1回やった方がいい」というわけではないのだけれども、スカート ・ミツメ・トリプルファイヤーが三ヶ月連続で新譜をリリースする2017年の奇跡をレペゼンすべく、Book cafe&barカゼノイチにて「第一回 月光密造を密造する夜」を開催しました。


構成は大きく二部に分かれていて、前半はこのインディー三銃士のデビューからの偉大な軌跡を時系列で辿るというもの。
後半は、この三銃士の音楽から連想した過去のロック/ポップミュージックの名曲をミックスしてかけました。

そしてそのいずれでも、曲の合間にピーター・バラカンになりきった私の解説が入るという暑苦しい仕様。

 

4時間分の構成を考え、選曲して、そして喋るという作業は想像以上に重労働で、終わった後はなんだか完全燃焼した感がヤバかった。

でも、準備期間を含めて彼らの音楽にズッポリ浸かって改めて思ったのは、こうした多様で芳醇な音楽的ルーツを感じさせるミュージシャンとの出会いは、リスナー人生をとても豊かにしてくれるということ。
スカートを聴いてムーンライダーズを聴き直し、ミツメを追いかけてParasolにたどり着き、トリプルファイヤーの後にFela Kutiで腰を揺らすというグレートジャーニーの素晴らしさよ。

こんな体験をみんなで共有したいぜ、という単純極まりない気持ちが、終わってからようやく気づいたこのイベントの本当の動機だったんだな。

こんな超マニアックな企画にお越し頂いたお客様、快く開催を承諾してくれたカゼノイチ店主の上野さんの広すぎる度量に心からの感謝を捧げたい。
この経験を活かして新たな企画にチャレンジしたいと密かな闘志を燃やしているところです。

 

とかなんとか言っている間に来週の土曜日、12月9日はレギュラーパーティーKENNEDY!!!を開催します。

 

今回はいつものレギュラーDJに加えて、石野卓球との共演している若き俊英ラッパー・PちゃんことP.I.Gのライブもあります。
前々回のKENNEDY!!!で彼の飛び入りフリースタイルにガツンとやられた俺が言うから間違いないけど、これはめちゃめちゃ期待していいやつです。

 

音楽が好きな人、お酒が飲みたい人、誰かと話したい人、ただカレーを食べたい人。
バラバラなお客さんが思い思いに盛り上がってしまう謎のパーティー、KENNEDY!!!!
今回も店主の男気ノーチャージ。オーバースペックなPAシステム組んでも男気ノーチャージ。
夜8時からカゼノイチでお待ちしております!

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初めて演劇を観に行った話。 ロロ「父母姉僕弟君」について

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会場のサンモールホールは、新宿御苑前駅2番出口を出てまっすぐ歩いて徒歩3分。と頭に叩き込んでいたにも関わらず、きっちり反対方向に歩いていた方向音痴の私。気がつくと新宿御苑に到着していた。
あぁまたやってしまった、と思って引き返そうとした瞬間、苑内から漂ってきた銀杏の匂いで、幼稚園の遠足でここに来たことをふと思い出した。30年以上前の話である。
今となっては、この演劇を観るにあたって、これ以上ないプロローグだったと思う。


演劇というものを自分の意思で観るのは、生まれて初めてのこと。なので、このロロによる「父母姉僕弟君」という演劇の巨大な感動を正確に伝えるボキャブラリーはまったく持ち合わせてはいない。でもそれがどんなに拙い言葉でも、なにかを書き残しておくべきだという気がしている。この観劇後の感情と記憶が、自分の中で失われていていくことに、少しでも抗いたいから。


何より衝撃的だったのは脚本そのもの。一見でたらめに流れる小さな川が、近づいたり離れたりしながら、最後は津波のように押し寄せる、圧倒的な構想力と情報量。それはエンターテイメントとしての大サービスであると同時に、観る側の記憶力と想像力を試すような過剰さだった。この過剰さこそテーマであると言わんばかりの。

 

俳優たちも本当に素晴らしかった。濃厚すぎる個性と矛盾をはらんだ登場人物たちのキャラクターを違和感なく体現し、コミカルとシリアスの境界線を自由に行き来する、いきいきとした演技。
最初は口がポカンとしてしまった私も、気がつけばあの破天荒でセンチメンタルな旅路の一員となっていた。

 

そして今は、主人公のキッドが感情のメーターを振り切った瞬間の、彼が俺に乗り移ってきたような感覚について考えている。

例えば夜中にふと目を覚ました時、隣にいる子供の寝顔が目に映った瞬間に湧いてくるカラメルを煮詰めたような多幸感。しかしそれと同時に訪れるあらゆる記憶や感情も、いつかは無に帰してしまう事実に対する無力感。

あるいは、人生という流動体において絶えず迫られる選択と、選ばれなかった方の人生について。あの時、カーブを反対に曲がっていればあったはずの人生は、今ここに存在しないという点において、過去に過ごしてした人生と何が異なるものなのかという詮なき疑問。繰り返される諸行無常

 

しかしそうは言っても、俺も娘も、なんらかの偶然と決断の結果として、今ここに生きている。そしてそもそも俺は三人姉弟の末っ子長男として育った、戸籍上の次男である。現世で会うことのなかった長男が無事に育っていれば、おそらくこの世に存在しない人間なのである。生まれることができなかった陸生とはもう一人の俺なのだ。

だからこそ、キッドが一人になり、壁が閉じられた瞬間に襲ってきた孤独と悲しみは、まさに俺自身のものになっていたのだと思う。その孤独を、岡崎京子のように「僕たちはなんだかすべてを忘れてしまうね」と呟いて、その孤独を静かに抱きしめることもできただろう。

でも彼はそれを選ばなかった。過去に置き去りにしたもの、選ばなかった別の人生、死んでるものや生まれなかったもの、その全てを心の内に生かし続けるために必死に抗った。

 

何度反芻しても胸が熱くなるこのシーンの素晴らしいところは、私たちが平坦な戦場を生きるために、時に暴力的な衝動の助けを借りることを肯定しているところなのかもしれない。

だからラストシーンでキッドが、車の中にバットをちゃんと載せたのはすごく良かったなと思った。人生という名のドライブにロックンロールが必要なということである。


そんなこんなで頭と心を使い果たした2時間。
終演後は何にも考えられなくなって、新宿駅までトボトボと歩いた。
そして東京駅に着くと予定の新幹線まで少し時間があったので、kiiteにあるインターメディアテクに立ち寄った。
東京大学の研究者たちが100年以上に亘って集めてきた、今は絶滅してしまった動物の化石、植物の標本、遺跡の数々。


すでに無くなってしまったものを前に、俺はまた泣いた(心の中で)。

やるせないほどの美しさ Videotapemusic 『ON THE AIR』

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Videotapemusicの新作『ON THE AIR 』。

室外機が遠慮なく生暖かい空気を吐き出す東南アジアの路地裏から、いつかブラウン管テレビの中で見たアフリカの秘境まで、めくるめく地球一周の旅に連れ出してくれた名盤『世界各国の夜』から約二年。

 

あの縦横無尽なジェットセット感からは少し趣きを変え、「アメリカと日本、その中間」に深くフォーカスしたような印象を受ける。
そして思い出野郎Aチームとのセッションもさらに深化したエキゾ感あふれるサウンドはもちろんのこと、坂本慎太郎による鮮やかなアートワークから濃厚に漂うのは、泣きたくなるほどのロマンティシズムだ。

なぜここまで、この作品が切ないのか、例によって電波混じりの妄想力(『ON THE AIR 』だけに)で考えてみた。

 

まずVideotapemusicの作品とは、そもそも構造的にある種の切なさを孕んでいるように思う。

彼が作品の素材としているVHSテープに封じ込められた映像とは全て、すでにそこにはない、失われてしまった光景である。そしてそのVHSという記録媒体もまた、その存在を完全に忘れ去られようとして久しい。

いわば二度目の死を迎えようとしているかつての現実。
そこに込められた、あるいは込められなかった思いを拾い集め、貼りつけて、もう一度新しい世界を作り出そうとするVideotapemusic の営み。
もはやアートの制作手法という枠を超え、神事のような意味合いすら内包しているように思えてしまう。

 

そしてその神事によってつくり出された新たな世界が、リアルであればあるほど、美しければ美しいほど強調されるのは、ビデオテープに記録された時間は、二度と取り戻すことのできないという私たちが生きる世界の厳然たる一回性である。

 

『世界各国の夜』が私たちに見せてくれたのは、スクリーンや絵本の向こうにある、私たちが過ごしたことのない場所と時間。おとぎ話であることが前提の世界だった。

しかし、『ON THE AIR』に広がるのは、そこに生きる人々の感情までもが再現された、リアルな世界だ。

 

例えば、アルバムジャケットに描かれる、軍事用レーダーと共存する住宅街。これは実在する福生という街、あるいは戦後の日本そのものを模したもの、とも言えるだろう。

そして、その街に流れる米軍ラジオ。
ノイズに混じって聴こえるスロージャズやルンバのリズムと、それに合わせてステップを踏む人々。NOPPALをフィーチャーした『Her favorite Moment 』のガーリーな憂鬱。


この体温や息づかいすら感じさせる美しい夢のような世界が、すべて虚構だとしたならば。
そう想像すると、胸をかきむしりたくなるほどのやるせなさに襲われてしまうのだ。


そしてこの「レプリカであることが唯一絶対の真実」というパラドックス。その構造をも燃やし尽くそうとしたのが、アルバム終盤に収められた、その名もズバリ『Fiction Romance』の多幸感の洪水であり、続く『煙突』のセンチメンタルな寂寥感なのではないか…。

 

おっと、気がつくと今回もかなりの深みに…。
怪しい感想どうもすみません。

2017 10/22 Cornelius 『Mellow Waves tour』@名古屋ダイヤモンドホール

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※ネタバレあります。ご注意ください。

 

トヨタロックフェスの2日目が中止になってしまったこともあり、急に思い立って嵐の中、コーネリアスのライブに行ってきた。

 

コーネリアスのライブを観るのは、98年の夏にたまたまロンドンでやっていた『Fantasma』のツアーを観て以来、なんと19年ぶり3回目(1回目は雑誌のイベントに当たって観た渋谷クアトロ。バックバンドにワックワックリズムバンドが参加していた)。

 

ちなみに98年の19年前というと79年。
今では小山田圭吾もサポートするYMOが最初のワールドツアーをした年である。
その時はいにしえの伝説のように思っていたけど、自分が同じ長さの時間を生きてみると、ついこないだのことのように思えて実に恐ろしい。


満員のダイヤモンドホールに入りまず目にするのは、ステージに張られた幕に映された、皆既日食のような円環。

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その円環を構成する微粒子がせわしなく運動を繰り返す様は、壮大な星雲のようでもあり、電子顕微鏡で覗く細胞のようでもある。
ぼんやり眺めているうち、村上隆の禅をテーマにした「円相」という作品を思い出したのだけど、コーネリアスの最新作「Mellow waves」のモノトーンな静謐さ、内に秘めた力強さは、これに通じるものがあったように思える。


開演時間ちょうどに客電が落ち、SEの波の音とプログレッシブなシンセサイザーの音が大きくなる。続いて幕の向こう側であらきゆうこが叩くドラムの音に合わせて円環が形状を変えていき、客席の期待と緊張が一気に高まる。
次の瞬間、メンバー四人の姿が映し出されるのと同時に鳴らされる『あなたがいるなら』のイントロと、それに完璧にシンクロしてスクリーンに映し出される「Hello everyone welcome to Mellow waves」の文字。
この見事な演出に、思わず「ふわぁ」と間抜けな声が漏れてしまったよ…。

 

『あなたがいるなら』はイントロだけで寸止め。そこから『Mellow waves』を中心に『Sensuous 』『Point』『Fantasma』からの代表曲が次々と演奏されていく。

 

フロアにいてまず感じるのが、音の一つひとつの気持ちよさ。
堀江博久の弾くトレモロの効いたエレピ、大野由美子のジューシーなシンセベース、そしてソリッドで時にヘビーな小山田圭吾のギター。これらがバイノーラル録音まで再現した完璧な音響で鳴らされる。


まるで開演前に映し出されていた円環を構成する微細な粒子が身体の中に入ってくるような感覚である。

 

 

そして、スクリーンに映し出されるクリエイティブの極北のような映像に、寸分の狂いなく同期したバンドのアンサンブル。

超複雑な因数分解を鮮やかに解いていくような快感がある。
特に『Fit song』のミクロ単位で精緻に構築されたファンクネス、『Count five or six』や『Gun』の時速300キロで走る重機のようなハードな迫力には肌が粟立った。しかも、合間合間に挟み込まれたユーモアも完全再現する余裕まで。
とにかく、あの音源ホントに人間が演奏してたのか!というアホウのように根本的な驚きを禁じえない。

特にあらきゆうこの、どんなに理不尽な(としか言いようがない)フレーズにも完璧に対応するドラム。俺からは見えない位置だったこともあり、本当はサイボーグとか鬼とかが叩いているんじゃないかという妄想が広がってしまいましたよ…。


その演奏力と視覚的情報量の膨大さにただただ圧倒されっぱなしの本編は、『STAR FURITS SURF RIDER』と、そこから切れ目なく突入した『あなたがいるなら』でクライマックスを迎え大団円。
アウトロで、オープニングと同じように演奏に合わせて映し出される「Thank you very very very much. Mellow waves」の文字を呆然と眺めつつ、このライブが『あなたがいるなら』から始まって『あなたがいるなら』に終わる、つまり円環を成す構成になっていることに気づく。あぁ圭吾、恐ろしい子…。


一言も喋らなかった本編から一転、アンコールはリラックスムード。
台風の中集まったお客さんを気遣う小山田の言葉に「あの小山田君が他人を気遣うなんて…」と驚きの空気が流れる。


そして彼の「どうもありがとうございました」というセリフのイントネーションが、中学生の時に死ぬほど聴いたフリッパーズのライブ盤のままだったことも密かに嬉しかった。

ちなみに最後に演奏された曲(タイトルわかりませんでした)は唯一ほぼ映像との同期なしの、素に近い演奏だったんだけど、やっぱり痺れるほど気持ちよくて、いつか「映像なし・ネイキッド版」のライブも観てみたいと思った。


先日出版されたZINE「Something on my mind」のディスクレビューで、私は名盤『Fantasma 』のことを、「音と想像力でつくりあげた一大テーマパーク」と表現した。
しかしこの日体験したコーネリアスのライブは、その世界観をさらに突き詰めて、小山田圭吾という天才の頭の中を、音と映像と光を駆使して具現化する、ミュージシャンや制作スタッフの限界に迫るようなパフォーマンスだった。

願わくば、ライブハウスじゃなくてホールだと映像も演奏もストレスフリーで楽しめるんだけど…と思ったりもしましたけど。

 

そしてもう一つ願わせてもらえるならば、この日会場を埋め尽くした大人の音楽ファンが、もう少し小さなライブハウス、東京で言えばwww、名古屋で言えばダイヤモンドホール地下のLounge vioあたりに出演するバンドに注目してくれると、この世はまだましだなって言うか、もっと楽しくなると思うんですよ。例えばミツメとかVideotapemusicとかバッチリだと思うのですが、どうでしょう。


こちらからは以上です。