梯久美子著「狂うひと」を読みました
植本一子がおすすめしていた(たしか)という安易な理由で読み始めた梯久美子著「狂うひと」。
島尾敏雄・ミホ夫妻の生涯を描いたドキュメンタリーであるのだが、あの「かなわない」をはるかに上回る、650ページ以上というボリュームにまず圧倒される。
こんな分厚い本とても読めるわけないと思ったものの、結局最初から最後まで、手に汗握りながら一気に読んでしまった。
奄美に着任した特攻隊長と、島に住む名士の娘の大恋愛。
その夢から覚めさせる戦後の現実と、夫の不倫により正気を失う妻。贖罪のために自分の全てを捧げる夫。
その過程を記録した島尾敏雄の小説「死の棘」によって二人は文学史に残るアイコン的存在になっていくわけだけれども、そこには尊い愛だけでは割切ることのできない現実的事情や打算が潜んでいたことを明らかにしていく。
そう書くとなにやらスキャンダラスな匂いが漂ってしまうのだが、これぞまさにプロの仕事と言うべき長年にわたる綿密な取材と冷静な筆致によって、一切の憶測は排除され、島尾夫妻の人間像が、公平かつ立体的に浮かび上がっている。
そして彼らの深すぎる業を、彼岸のこととしてやり過ごすことを許さないほどの近さで突きつけられた読み手である私もまた、否応なしに自分の人生を省みることを要求されるのです。
ただひたすらに平坦でまっすぐな道を整え、そこを淡々と歩むことを目的としたような私の人生。別の世界に繋がる穴にはすべて蓋をしなければならない。
果たして、その蓋を開けないまま死んでいくことが、幸せな人生というものなんだろうか。
自分でもコントロールできない何かに振り回されることこそが、生きるということなんじゃないか。
そんな愚かで浅薄、かつ甘美な誘惑にかられたりもするわけです、たまには。
しかし少なくとも、その蓋を外した人だけがつくり出すことができる世界が存在すること、それが俺の人生に大いなる驚きと喜びをもたらしてくれていることだけは確信を持って言える。
つまり人のセックスを笑ってはいけない。すべての愚行と倒錯に(まずは)リスペクトを。
サニーデイ・サービスの衝撃作「Popcorn ballads」のあれから
サニーデイ・サービスの衝撃作「Popcorn ballads」が突然リリースされてから二ヶ月が経つが、依然として私のプレイリストの最上位に鎮座し続けている。
当初は、(リリース当日に全曲レビューを書いてしまうほど)それぞれの楽曲の、あるいはリリース方法の斬新さに心を奪われてしまい、アルバムを通じてのストーリーまでは考えることができなかった。
しかし何度も聴き直しているうちに、ふとこれは壮大なコンセプトアルバムなのでは…と気づく瞬間があった。
その時も興奮を世に問うべく、一気にツイートしてみたわけだけれども、当然何事もなかったようにタイムラインのはるか彼方へと追いやられてしまったので、改めてここに記しておきたい。
私が閃いた仮説。
それはこの全22曲に及ぶ大作はちょうど真ん中のM11「Heart & soul」を境にして、「戦中と戦後」というテーマになっているのではないかというもの。
その筋に沿って、この22曲85分の冒険譚をもう一度読み進めていきたい。
冒頭を飾る二曲は、戦争というテーマと比較的明確に結びついている。
M1「青い戦車」は文字通り戦場の歌であり、『湾岸走る戦車』という歌詞からは、近未来のレインボーブリッジをひた走る戦車の姿が浮かんだ。
続くM2「街角のファンク」におけるC.O.S.AとKID FRESINOの荒々しいラップは、死と隣り合わせにいる兵士たちの夜だ。
M3「泡アワー」は一聴すると軽快なダンスナンバーのようである。
ただ、このやけに切迫感のあるサンプリングビートに乗せて繰り返される『僕らはみんな水槽の金魚 色とりどりの泡を見ている』『急げ急げこの夜の警告』という歌詞の世界を少しだけ悲劇的な方向に傾けてみると、空爆される街の姿、飛び散るネオンサインが浮かび上がってくる。
その流れでM5「東京市憂歌」 を聴けば、これは爆撃された後の、かつて東京都と呼ばれた土地に残った者(それは人間ではなくAIかもしれない)が歌うブルーズと解釈するのが自然だろう。
トライバルなビートに乗せて、ロボットボイスで繰り返し歌われる「Dance forever 我が身果てるまで踊ってれば live forever 」というフレーズの言いようのない不気味さ。
最初に聴いた時にも坂本慎太郎「ナマで踊ろう」を思い出したのだが、あれこそまさに人類滅亡後のダンスミュージックとも言うべき問題作だった。
そこから一転、こぼれ落ちそうなほどリリカルなM6「きみは今日、空港で」は、大切な人との別離の歌。空港を舞台にした戦争に翻弄される人々の喧騒と静かな悲しみの交錯。戻ってこない平穏な日々。
そして最高にシュールで、曽我部の愛犬が死ぬほど可愛いMVも記憶に新しいM8「Tシャツ」のオーセンティックなロックンロール。アルバムタイトルの「ポップコーン」と並ぶ戦争大国アメリカの暗喩だろうか。
続くM9「クリスマス」は間違いなくこのアルバムの核を担うファンクナンバーであるが、その歌詞に少し注意を払って聴いてみれば、本名もわからない、クリスマスと言うあだ名で呼ばれるストリートチルドレンの姿が浮かんでくる。あまりにも切ないダンスミュージック。
そして同じくブレイクビーツに乗せて歌われるM10「金星」への祈りが通じたのか、マイナーで始まるインストナンバー「Heart & soul」は、穏やか朝が訪れるように転調する。
この瞬間、戦争は終わった。
少なくとも私の世界では。
さて、ここからは戦後編。
まずその冒頭を飾るM12「流れ星」。
そのタイトルを見れば、M10「金星」と同じ天体をモチーフにした曲がM11「Heart & soul」を挟んで対に並んでいることに気づく。
これは単なる偶然ではなく、曽我部恵一がそのストーリーを浮き上がらせるために入れ込んだ仕掛けではないだろうか。
続くM13「すべての若き動物たち」。
最初に聴いた時は曽我部恵一の、年輪とは無縁の若々しい音におののいたが、『スピードはそんなもんか』『今世界はゆりかごの中』といった歌詞からは、混沌を生き抜かんとする若者のギラギラとした生命力を感じる。これはM2「街角のファンク」の物語と対の構造なのかもしれない。
そこからは一転、M14「Summer baby」M15「恋人の歌」M16「ハニー」と「恋人」を意味するタイトルが三曲続く。
そして「恋人の歌」と「ハニー」はそれぞれ、帰ってきた恋人、まだ会うことができていない恋人を思う歌として、またしても対になっているように聴こえる。
続くM17「くじら」は一転して不穏なムードを漂わせる。不気味な残響音から想像されるのは海原に生きるクジラのことではなく、深海に潜む潜水艦。人類の歴史を振り返れば、戦後とは常に新たな戦前とも言えるわけだから。いつだって私たちは暴力の気配から逃れることができない。
そしてM18「虹の外」のどことなくオリエンタルで退廃的なムードを漂わせるディスコサウンドから私が想像したのは、ブライアン・フェリーのヒット曲「Tokyo Joe」。進駐軍の兵士が集まるナイトクラブのイメージだ。
続くアルバムタイトルトラックのM19「ポップコーン・バラッド」。
M8「Tシャツ」と同じロックンロールなギターが、どこか古き良きアメリカの大らかさを想起させる。またしても対の構造だ。
そしてサニーデイ史上屈指の美しさをたたえるM20「透明でも透明じゃなくても」。
『Hello good bye メリークリスマスの亡霊』という歌い出し。ここで再び現れる「クリスマス」という言葉にドキッとさせられる。これはM9「クリスマス」のことだろうか。
しかしこの静かな達観をも感じさせる美しいメロディ。ひょっとすると、かつてクリスマスと呼ばれた少女はこの歌の主人公なのかもしれない。
さあいよいよラスト。
M21「サマーレイン」、M22「Popcorn run out groove」の享楽的で混沌としたサウンド。
まるで戦争を知らない子供たちが、豊かさと退屈を持て余しているかのようなルード感。
『そろそろ生まれ変わりたいような気分さ』というリフレインは、やがてまた訪れることになる破綻の暗示か。まるでポップコーンほどの軽さで突っ走る、どこかの国の政治家の姿も重ねたくなる。
この謎に満ちたアルバムを締めくくりにふさわしい、ミステリアスな余韻。
以上が、「Popcorn ballads」に妄想まじりのストーリーを押しつけて聴いてみた話。
正しいか間違ってるかはわからないし、もっと別のストーリーがあるのかもしれない(そもそも歌詞カードも見たことがないのだ)。
でも、私という凡庸な聴き手のイマジネーションをここまで巨大に膨らませてしまう、美しすぎる断片の集合体がつくり出す完璧な謎。全編に漂う暴力の気配とクールなリズム。
26年前の夏にリリースされた「ヘッド博士の世界塔」、あるいは53年前に出版されたトマス・ピンチョンの「V」と並べて語りたくなってしまったのも、無理からぬことではないたろうか。
そう言えば 曽我部恵一が井の頭レンジャーズと出した7インチもフリッパーズギターのカバーでしたね…。
とてもマイフェイバリットなOFTに子連れで行ってきた話
岐阜県各務原市で開催されている野外フェスOur favorite things。
わりと近所だし、毎年魅力的なメンツでうらやましいなと思っておりましたが、今年初めて参加できました。
なんせ出演アーティストがサニーデイ、スカート、シャムキャッツにヨギー、D.A.NにSTUTS…。
俺のためのフェスなんですか?と錯覚するほどマイフェイバリットだらけのラインナップ。
こりゃガチで見たいよね、ということで次女はおばあちゃん家でお留守番、小4長女(スカートとサニーデイが好き)だけ連れて出発。
愛知から各務原なんてめちゃ近いし、俺は岐阜には仕事で何度も来てっからさ、とカーナビの指示を無視して東海環状道をひた走るも、いつまで経っても目的地までの残り距離が減らない。
あれ?…各務原市と土岐市の位置を間違えてたよね。そして今は関市とかいうところにいるよね…。
そっからは顔面蒼白。
なんとかスカートに間に合うようにと必死に走って会場到着。
楽屋裏で煙草を吸うチンピラ…じゃなくてシマダボーイを発見した瞬間の安堵感と言ったらもう…。
さて会場はちょっとした公園って感じのアットホーム感。
森道みたいなステージを想像していたので、こんな近くでスカートやらサニーデイやら見れちゃうのかい?と改めて興奮。
それにしても7月の東海地方の蒸し暑さといったら名産品としてまるごと他の都道府県に出荷したいレベルな訳ですが、この日も相当にゴキゲンな湿度&温度。
そんな暑さもピークの13:20に登場した澤部渡率いる我らがスカート。
ある意味こんな澤部が見たかった的なおいしいシチュエーションだったわけだけど、「ああ暑い!みなさんが暑いと言うなら僕がどんだけ暑いんだってことですよ!」「(汗が目に入って)チューニングもできない!」と嘆きながら水色の長袖シャツを汗で濃紺に染める澤部氏を見ているうちにちょっと気の毒になってきました…。
しかし肝心のライブの方は、まさにこんな澤部が見たかった!的真夏のヒットパレード。
最初にぶちかますはスカート屈指の大名曲「ストーリー」。しかしこんなファンキーなリズムだったっけ?と戸惑うほどに涙腺と足腰をグイグイと刺激してきてとても忙しい。清水瑶志郎先生のベースがブリブリ過ぎてもう最高。
そして「セブンスター」からの「回想」でこの日最初のピークタイム。
いやこれは最強の夏フェス対応のダンスナンバーですよマジで。青空の下、ノンアルコールビールでがっちりアガりました。
その後も「CALL」、ウチの子も大好きな「おばけのピアノ」、新曲「視界良好」などなど名曲だけでオーディエンスの気持ちをガッチリ掴み、最後は「静かな夜がいい」をエモく熱くキメたスカート御一行。いや最高でした。
ステージを降りた後はまるでゆるキャラのように若者たちに記念写真をせがまれまくっていた人気者・澤部氏、フジロックでの健闘を祈ります!
続いて登場はシャムキャッツ。
何を隠そうちゃんと観るのは初めて。
しかしこれまたどういう神のいたずらか、メンバーお揃いの衣装がスカート澤部氏ともろかぶりの青い長袖シャツ。発汗量の違いが際立ってしまうじゃないか…。
それはともかくシャムキャッツ、演奏した楽曲のほぼすべてが新作「Friends again」から、という潔いセットリスト。
しっかり根を張った4本の木のような、伸びやかな歌と演奏、虚飾のない楽曲が岐阜の自然にマッチする。改めてしみじみ長く聴きたいアルバムだと思った次第。
そして旧作からの代表曲「Girl at the bus stop」も新生シャムキャッツの音として、より凛とした佇まいで鳴らされていた気がする。そのせいか「後悔になんて唾を吐け」という歌詞がいつもより強く心に入ってきて、ちょっと泣いた。
さてここで子供タイムで会場をぐるりとまわる。
さすが公園だけあって、川(入って遊べます)とか遊具が充実。
爆音と人混みに飽きたお子様ケアも万全です。ライブになかなか戻れない危険性はありますが。
さて、散歩から戻ってきたところで今、日本で一番イケてる若者たち・Yogee new wavesが登場。
お客さんの数もこの日一番の多さ。勢いを感じます。
2017年超決定盤「WAVES」を中心にしたセットリストだったわけだが、ホントいい曲しかない。
アレンジも歌も演奏も、フロントマンとしてのカリスマ性も全てが完璧。その完璧ぶりが俺には眩しすぎたりもするんだけど、全然嫌じゃない。それでこそ2017年に生きる若者のためのロックンロールって気がするから。
終演後、興奮した男子が連れの女子たちに「オシャレなブルーハーツって感じだったよね!」って言って「全然ちがうでしょー」って笑われてたけど(まぶしい)、俺も男子の意見に賛成。
日も落ちてきたところで登場はSTUTS。
東大の先輩・Alfred Beach Sandalと共に作った「ABS + STUTS」が再生ボタンを押してから30秒でアーバンなサマームードで部屋が充たされる名盤だったのでこの日もガンガン踊りたいと思ってたけど、ノンアル・子連れ・暑さにやられた身、ではなかなかそういうわけにもいかず、小田島等先生の似顔絵コーナーに並びました。
私ではなくムスメを書いてもらった訳ですが、これが恐ろしく彼女の内面まで捉えたような絵で震えました。
ちなみに小田島先生に「こんなにずっと絵を描いてて手とか大丈夫なんですか?」って聞いたら「僕は絵を描くために生まれてきたから全然大丈夫なんですよ」ってサラッと答えてくれました。シビれた。
まさに日も落ちんとするマジックタイムに現れたのはD.A.N。
これでライブ見るの多分4回目くらいだと思うんだけど、彼らが一切同期を使っていない人力演奏ということにようやく気がつきました。
「SSWB」のクールなベースラインとか「Native dancer」のドラムとか、生でやってんのか!と思ったら急にビールが飲みたくなってきて今日10本目くらいのノンアルビールを流し込みました。
それにしても最初に観た時(2015年の大晦日)はもっとゴリっとした感触の音楽だった記憶があるんだけど、今の音はなんというかトロトロの液体が自由に宙を舞うような、コーネリアスの新譜に通じる、洗練されまくった気持ち良さがある。
小林うてなさんのヘアスタイルもクールでした。
さていよいよフェスも大詰め。
トリを飾るのははサニーデイ・サービス!
結論から申し上げますと、圧巻・圧倒・圧勝でした。
この前に出たバンドも心の底から愛してる俺だけど、もうサニーデイは別格の横綱相撲。
一曲目の「Baby blue」でオーディエンスを別の世界へ誘うと、「あじさい」「Slow rider」でオーディエンスの心の中に初夏の風を吹かす。ナイスブリーズ。
そしてここからが本日のクライマックス、「さよなら!街の恋人たち」でさっき沈んだはずのギラギラした太陽を再び呼び戻したかと思うと、灼熱の「DANCE TO YOU」の世界へ。
「セツナ」のメーターを振り切った演奏は、来るぜ来るぜってわかってても、心の防波堤を軽く突破してくるんだ。
世界中でこんなテンションでメロウロックを鳴らすバンド、他にいるかい?と言いたくなる。さっきまで客席で騒いでた酔っぱらいもすっかりおとなしくなってしまったじゃないか。
そして本編最後は「サマーソルジャー」。
これ以上、今日ここにいる私たちにふさわしい曲はないでしょう。ステージの上に輝く月を見ながらまさに胸いっぱいになっておりました…。
この曲はいつか武道館みたいなでっかい会場でシンガロンしたい。オアシスの「Don't look back in anger」みたいに。
終演後、初めてサニーデイを見たと思しき若者たち(たぶんバンドやってる)が「ヤバいなめてたわ」「とんでもねーな」「いい曲しかなかったし」「あのホワイトファルコンがさぁ…」と熱く語り合ってて、ええ子やなぁとミヤコ蝶々賞をあげたい気持ちになりました。
そう。とんでもないバンドなんですよ、サニーデイは!
ちなみにアンコールでは「青春狂走曲」が披露されたんですが、会場にいらっしゃった写真家の宇壽山さんが「『バンドマン対抗綱引き合戦』の歌やってくれて嬉しかった!」と開口一番おっしゃっていて、なんのことやらと思ったらこんなことでした。
スカート(含む元昆虫キッズ・佐久間裕太氏)、シャムキャッツ、サニーデイ、今日の出演者ばっかりじゃん!ある意味めちゃ貴重なアーカイブ。澤部選手ジャージ似合いすぎだし。
さて、子連れでは初めて、私にとっても超久々の夏フェスでしたが、高速のサービスエリア直結、トイレ、コンビニ完備の快適環境のおかげで無事に過ごすことができました。
とは言え、子連れでフジロックとかはまだまだムリ。夫婦のどちらかがライブ見るのを諦めて子供に専念すれば別だけど、それは我が家では考えられない(どっちもライブ観たい)ので…と限界を悟ったりも。
ありがとうOFT、ありがとう各務原市(もう場所間違えないよ)。
来年も遊びに来たいと思います。
久々のライブハウスで生き返った話。VideotapemusicとOgre you assholeのツーマンを観ました。
久々にライブハウスに行った。久々と言っても二ヶ月間が空いたくらいの話なので大したブランクではないのだけれども。
理由はいくつかあって、もちろん仕事がダラダラと忙しいことが主たる理由ではあるのだが、どうもいまひとつ心身のコンディションが整わないんだよな…とかなんとかグチグチしてる間にVideotapemusicとOgre you assholeのツーマン当日。
いろいろ心配なことはあったものの、バシッとパソコンの電源を切って、会場の伏見Jammin'へ。当日券で入場。
先攻はOgre you asshole。実は初体験。
どこかスピリチャルな佇まいがなんとなくとっつきにくかったのかもしれない。
でも久々のライブがこのバンドで良かった。
俺のつまらない煩悩を吹き飛ばすような硬質で容赦のない轟音。バキバキのグルーヴ。久々に無心で踊った。デトックスという単語が頭に浮かんだ。
EP-4、ゆらゆら帝国にINUの系譜に連なる日本的湿度をまとった狂気と叙情性とか、語るべきはたくさんある音楽なんだろうけど、とにかく楽しかったというのが私の素直な感想。
そして素直ついでに告白すると、ボーカルの人はちょっとカクバリ社長に似ている気がする。
さて続いては本日の真打ち・Videotapemusic。
昨年に続き二度目。
最初に観た時はその情報量に圧倒され、その興奮を謎の文章で消化したのだけれども、今日は無国籍な映像と生演奏とサンプリングが入り混じった音楽にクラクラしつつも、もう少し内側のところでビデオ氏の魅力を感じることができた気がする。
子供の頃に留守番しながら観ていた、夕方のテレビの再放送。その心細さ。
まだ地球に未開の地があった時代の郷愁。としまえんのアフリカ館。
夜の街に広がる家々の灯り、忍び込んだ工事現場の不思議な光景。子供の頃に住んでいた再開発される前の隅田川の光景。
夜中にこっそり起きて観た11PM。大人しか知らない、煌びやかで妖しい世界…。
誰も知らないはずの、自分でもほとんど覚えていない原体験を次々と呼びおこされていく感覚。
手法の斬新さや膨大な情報を処理するマニアックな職人ぶりやファッション性に目を奪われてしまいがちだけど、人の心の一番奥深くの記憶や感情を開かせてしまうところがビデオ氏の作品の素晴らしさなんですね。
それにしても後半披露された「Her favorite moment」。早く音源が聴きたい。
そしてこの日も脇を固めた思い出野郎Aチームの新曲の素晴らしさについても語りたいところだけれども、それはまた別の話ということで…。
というわけで心身の深いところで気持ちよく汗をかき、ライブ前に抱えていたモヤモヤはすっかり晴れていたことに気がつく。
ライブはやっぱりいいものですね。
小田島等の歩き方 「1987/2017」
小田島等の個展@LIVERARY OFFICEに行ってきた。
今さら説明するまでもないことだけれど、小田島等と言えばサニーデイ・サービスのアートワークを長年にわたり一手に引き受ける盟友的存在であり、最近ではシャムキャッツのジャケットやレーベルロゴのデザインも手がけている。
しかし、サニーデイの音源を包む、大胆にしてリリカルな作風を想像して彼の作品に臨むとたぶん困惑することになる。
正直に言うと、私も初めて彼の作品を見た時には途方にくれてしまった。
そして今でも、小田島等の作品に向き合うことは、ある種の格闘のようなものだと思っている。
自分の想像力の範疇外にあるものを、ジャンプして掴み取り、咀嚼する。
頭と心が汗びっしょりになったような気持ちになるのだ。
まず彼の作品は、多くのアート/デザイン作品が持つ、キレイとかオシャレとか明るいとか暗いといった、安易なファーストインプレッションをキッパリと拒否する。
そこにあるのは、子供が本能のままに貼りつけて落書きしたように(も)見えるコラージュだ。
最初に向かい合った時点では、なにこれ、ヤバい、わかんない、と冷や汗が出てくるかもしれない。
しかし心配する必要はない。
これは、小田島等の作品が内包する圧倒的な情報量が、視覚から取り込んだ信号を感情としてフィードバックする脳内処理を、一時的にパンクさせているだけなのだ。
よってここで生じる混乱は極めて自然な生理現象であり、ある意味であなたが健康である証拠とも言える。
とは言え我々は、健康診断を受けにギャラリーまで足を運んでいるわけではない。
当たり前ような顔をして目の前に広がる、物理的、化学的、歴史的、道徳的、あらゆる種類の圧倒的な秩序の中に、小田島等が生じさせた綻びや歪みを感じるためにここにいるのだ。
さあ深呼吸して、改めて作品に対峙してみよう。
ここで私が心がけているのは、これが紙の作品であるという概念を捨てる、自分の身近なものに置き換えてみる、ということだ。
おのずと私の場合は音楽に変換するということになるわけだが、するとあら不思議。
さっきまで謎だらけだった作品が、それぞれのリズムでこちらの感覚に染み込んでくるじゃありませんか。
あるものはアシッドハウス、あるものはヒップホップ、あるものはドラムンベースやサイケGS…。
この音楽(あるいはそれ以外の何か)が持つ本質的なエネルギーを、直接脳にブワーっと送り込んでくる感じ。これが小田島等の作品の最大の魅力だろう(※シラフです)。
さて、心の周波数はステイチューンで、もう少し目を凝らしていこう。
一枚一枚の作品に貼り付けられた素材と、その組み合わせに込められた暗号を読み解いていくのだ。
読み解くなんて書くと、いかにもややこしい感じがするけれどドンウォーリー。
先ほどからあなたの頭で流れているTB-303のベースラインや909のキック、あるいはファズギターやスクラッチノイズに合わせていくつかのキーワードを作品に浮かべていけばいい。
例えば、
オシャレ/ダサい
セックス/プラトニック
人工/自然
作為/不作為
ローカル/グローバル
大人/子供
生/死
昨日/今日/明日
こうして右から左、上から下に視点をズラしていくことで訪れる、作品と自分のピントがピタッと合う瞬間。
この立体的な快感は、他のアーティストでは味わえない感覚ではないだろうか(※もう一度言うけどシラフです)。
さてどうだろう。
ここまでで小田島等の世界を一端は堪能することができたのではないか(もう少し深く論理的に探求したい方には誠光社から出ている堀部篤史との対談集「コテージのビッグウェンズデー」をおおすすめ)。
そして内的冒険を終えたあなたの中には、これまで感じたことのない充実感や、エナジーが満ちていることに気づいていることだろう
(ちなみに私は今回の個展を見た後、二日ほど眠れなくなってしまった)。
そして話を冒頭に戻すと、作品ごとにその姿をダイナミックに変容させているサニーデイ・サービスが、あるいは自らのインディーレーベルを立ち上げようと奮闘するシャムキャッツが、その世界観をレペゼンするパートナーにこの小田島等を選ぶには、やはり揺るぎない必然がある。と思うのです。
日常こそがロックンロール。 シャムキャッツ「Friends again」
シャムキャッツの新作「Friends again」を聴きました。
過去二作の小田島等によるぶっ飛んだアートワーク(最高)から一転、サバービアな温度感が素敵なジャケットと歌詞カードがまず素晴らしい。CDで手に入れて良かったなと思わせる力があります。
さて「AFTER HOURS」でやられた私にとって、シャムキャッツはリズムのバンド、という勝手なイメージがあった。メロディアスなベースラインを中心にボーカルを含めた音色が折り重なっていくような。
でも、この作品では独立した4ピースがとてもシンプルに、歌を引き立てるように鳴っている。
このフラットで均等な感じが「Friends again」のゆえんなのかもしれないと思いつつ、「Grand prix」以降のティーンエイジファンクラブの多幸感を思い出しました。
そしてそんなバンドサウンドに乗る歌は、何かを声高に訴えるようなやつじゃなくて、鼻歌のようにさりげなく光り、じわじわと心にしみていくような手触り。
歌詞についても、いかにも歌詞らしいフックはほとんどゼロ。
しかし一見淡々とした光景の中に浮かぶ「特別な何か」をすくい取っていく夏目知幸の異才ぶりが際立っています。
特に素晴らしかったのが、M1「花草」。
二人でマンションの屋上に登るってだけの話なんだけど、
「コカ・コーラの大きい看板
スポーツ選手が引き伸ばされている
君はふいに大の字に寝そべり(その選手のように)
このまま僕らも終わるって目をした」
このフレーズが飛び込んできた瞬間、おい松本隆かよ!って俺の中の何かが爆発したし、
そんな思わせぶりなフレーズから
「君の顔のそば
コンクリートから伸びて
雑草が花をつけていた」
って描写で終わった時には、小沢健二の「向日葵はゆれるまま」(あるいは山田太一の「丘の上の向日葵」)を思い出しましたよ。
夏目くんは本当にすごい詩人だと思います。
大人なのに髪の毛ピンクだけど。
そしてもう一つ触れておかなければならないのはギタリスト・菅原慎一の充実ぶり。
ミック&キース、ヒロト&マーシーからひさし&コータローまで、脈々と受け継がれる。
「ギタリストが歌うのはアルバムにつき1曲まで」というロックバンド鉄の掟(適当)を破り、本作で彼がリードボーカルをとったのはなんと3曲。
しかも、どれも夏目ボーカル曲よりもある種の華がある曲ばかり。
ちょっと張りきりすぎじゃないかと思わなくはないけれども、本職のギターでもいい仕事。淡い色合いのアルバムの中で光る、差し色のように鮮やかなフレーズの数々。いわゆる「違いを生むプレー」ってやつですね。素晴らしい。
というわけでもしかするとパッと目を引くキャッチーさに欠けると思われてしまうかもしれない作品ですが、ポップもロックも恋もキスもセクシーも、君と僕の毎日の中にしかないんだぜ、というシャムキャッツならでは視点をより強固にした、生命力にあふれる作品なんではないでしょうか。
とりあえずこちらからは以上です。
サニーデイ・サービス「Popcorn bllads」全曲レビュー。
昨日、正確には今日の夜、突如としてリリースされたサニーデイ・サービスの新作アルバム「Popcorn ballads」。
小沢健二と小山田圭吾が再び歌を取り戻し、D.A.NやYogee new wavesを始めとする新鋭が次々と傑作をモノにしていく、この2017年に投下された全22曲、85分の大作。
「誰がシーンの顔なのか、ハッキリさせようぜ」と言わんばかりの曽我部恵一のただならぬ気合を(勝手に)感じたワタシも、この興奮をフィードバックしなければ!という気持ちになってきましたよ。
というわけで、「今日初めて聴きながら書いた22曲分の感想メモ」をそのまま公開します。
M1「青い戦車」
前作「Dance to you」に収録された「冒険」を、さらに野心的に進化させたようなメロディとリズム、扇情的なサックス。そして大胆な韻の踏み方からして新しいリリック。期待しか感じない一曲目。ヤバい。
M2「街角のファンク」
まさかの曽我部×オートチューン!「ファンキーな生き方、ファンキーな死に方」というフレーズが印象的なフックから、一気に視界が開ける流麗なサビ。そして曽我部がラッパーをフィーチャーした曲にハズレなし。
今回のパートナーはC.O.S.AとKID FRESINO。P.S.Gとやった「サマーシンフォニー」、MGF「優しくしないで」に続く名曲確定。「エレクトリックピアノとコーヒー」というフレーズに象徴される美しさも内包。
M3「泡アワー」
ファンキー路線はまだ続く。泡アワーというタイトルに象徴されるラフでザクザクっとしたトラックに絡みつくギターがかっこいい。良い意味でデモテープのような荒々しさ。それでいて涼しげな上品さ。
M4「炭酸xyz」
「泡から炭酸」のトラックを引き継ぐ、長い長いアウトロのような曲。例えが古いけどStone rosesにおける「Waterfall」と「Don't stop」と同じ関係か。しかしこの曲の組み合わせによって、両者の持つエッジがバキバキに際立つ。
M5「東京市憂愁」
タイトルには東京とあるも、美しいイントロから漂う無国籍感が心地よい。しかし、ロボ声で「我が身果てるまで踊ってれば」と歌われる不穏さは、坂本慎太郎の作品を彷彿とさせる。
M6「君は今日、空港で」
ここで急にメロウでアコースティックなサニーデイが戻ってきて面食らってしまう。しかし曽我部のこの身勝手さこそロックンロールだ。でもどことなくいつもよりアーバンなAORを感じせる。シンセがいい。
M7「花火」
続いては突然のナイアガラなウォールオブサウンド!雄大で優しいメロディは大瀧詠一のそれそのものと言ってもいいのでは。それにしても、バッサバッサのジャンルや曲調を横断して行くこのアルバムの編集感覚のダイナミックさよ。
M8「Tシャツ」
続いてはフィフティーズなロックンロール。日々の営みを感じさせる歌詞にソカバンを感じる。
M9「クリスマス」
「Tシャツ」に続いてデモテープ的タイトルの9曲目はまたファンキー路線。グルービーなリズムにこの魔法のファルセットボイスが乗った時点で勝負あり。最高。「彼女の名前はクリスマス」というリフレインの中で踊り続けたい。
M10「金星」
続いてもファンクチューン。ただし「クリスマス」よりもモダンなヒップホップマナー。だらしなく溶けていきそうなセクシーなメロディ。都会のざわめき雑踏を感じさせるトラック。これぞシティポップだと思った。
M11「Heart & soul」
いきそうでいかない、寸止めインストグッドメロディの片鱗が愛しい。ちょうど折り返し地点のインタールード。無作為なフリしてちゃんと構成が考えられていることがわかる(あたりまえか)。
M12「流れ星」
曽我部恵一らしい情熱を感じさせる歌とギター。しかしここでも貫かれるファンクネス。サビの瑞々しさ、力強さよ。
M13「すべての若き動物たち」
なんだこのタイトルそのまんまの、メロディから伝わる若々しさ、新しさは。手グセから無縁の新たな境地を感じさせる。「金星」でも垣間見せたラップ的ボーカルも新鮮。
M14「Summer baby」
80年代エレポップ的なトラック。このチープで軽やかなトラックと、メロウなメロディの対比が切なくて涙が出そうになる。
M15「恋人の歌」
一転して弾き語り。一人であること、孤独を受け入れようとする歌詞。一人ぼっちラジカセで録音したような音質が寂寥感を強調する。
M16「ハニー」
「恋人の歌」と同じくアコギメインのメロウチューン。「Dance to you」リリース後のライブを見た時も思ったのだけれども、この少し懐かしいシンセの音がサニーデイのサウンドに欠かせない隠し味になっている。
M17「クジラ」
ミニマルなヒップホップ的なトラックに絶え間なく乗せられる言葉は、意味よりも抽象的なイメージを喚起させるために費やされている。クールだ。クジラはボーンと太いキックの音から来てるのだろうか。
M18「虹の外」
ファンキーシティにウェルカムバック。この最高にイカしたディスコチューンは、インディーソウルに対する曽我部恵一パイセンからの回答、という気もするくらいのポップ感。
M19「ポップコーン・バラッド」
アメリカンな荒涼とノスタルジアを感じさせるギターとエレクトリックピアノ。一聴では地味な感じだけど、聴くごとに増していくであろう魅力を感じる。
M20「透明でも透明じゃなくても」
ビートルズ風の黄金のメロディが中空を漂っていく、タイトル通りの透明なデイドリーム感。甘いあまいサイケデリア。間違いなく名曲。
M21「サマー・レイン」
ジザメリ的ノイズギターから始まる、カラカラにさめきった、カリカチュアなロックンロール。「ポップコーン・バラッド」から続くロードムービー感がクール。
M22「Popcorn runout groove」
この大作に対する深い意味付けを拒否するように、不敵なユーモアを漂わせた、混沌とした短いアウトロ。
さて、聴きながら一気に書いた22曲分のメモ。
やや意味不明の記述もありますが、総じての感想としては、全編を貫く斬新さと、とにかく今を踊り続けるのだ、という強靭な意志にメチャクチャ興奮した、ということが一番。
そしてノンプロモーション・ストリーミング配信オンリーというリリース方法も、「とにかく一番最初に摩擦係数が高いことをやったやつが一番カッコいい」というパンク・ヒップホップの大原則を踏まえれば、(いろいろな意見はあるかもしれないけど)最高にイカしてると思う。
でもこれ、ライブで再現できるのかしら、という疑問と期待を胸に来月のOur favorite thingsを待ちたいと思います。